プラスマイナスが見えている人と自分の感覚でのプラスしか見えてない人。
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プラスマイナスが見えている人と自分の感覚でのプラスしか見えてない人。

2024.04.05
2024.04.05

おはようございます。FOURTEENのコウタです。

京都を拠点にフリーランスデザイナーとして活動しており、毎日休まず続けている、ランニングやブログを通じて感じた「継続は力なり」の大切さを発信したりしています。

京都を拠点に完全独学のフリーランスデザイナーとして活動し9年目。2016年から禁煙をキッカケに始めた毎日ランニングは2,570日、毎日ブログは1,340日を突破。(2023年12月31日現在)

先日、母と話をしている時にふと「プラスとマイナスが見えてる人」みたいな感じの表現をしたんですね。

いきなりなんのこっちゃ分からん話をする僕のキーワードに対して、自然とそれを理解してくれた中で、さらに深掘りした上で、それを言語化して伝えてみたくなりました。

ということで今回は、プラスマイナスが見えている人と自分の感覚でのプラスしか見えてない人、についてお話ししたいと思います。

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需要と供給と均衡を考える。

この世の中には、「需要(必要とされている量)」と「供給(必要としている量)」があって、そのバランスが取れていることを「均衡」という表現すると思います。

そんな需要と供給の感覚があるのは、決して物質的なものだけではなく、例えば「感情」とか「人気」のような目に見えない部分でも表現出来るんです。

要するに「りんごが欲しい人が10人いるけど5個生産できない」という状態は、需要過多の状態で均衡は取れていないと表現できますが、「楽しいことをしたいけど楽しいことができていない」ということも同様に、需要過多の状態になるという感覚です。

感情をプラスマイナスで可視化する。

そういう風に考えた時に、自分自身にとって(もしくは相手にとって)の感情を「プラスマイナスで可視化する」という思考がすごく重要だと思うんですね。

分かりやすく言えば、真ん中がゼロのメモリをイメージした上で、「嬉しいことがあればプラス」で「悲しいこと(嫌なこと)がればマイナス」にそれぞれ1つずつコマを進めていくとして、フラットの状態(嬉しくも悲しくもない状態)のことを均衡とする訳です。

で、嬉しいことの方が多い人は、そのメモリは「+〇〇」の位置にあることになると思うんですが、悲しいことが多い人のメモリは「-〇〇」の位置にあるということを想像して、その感情を可視化します。

自分の感覚としてプラスしか見えていない人。

そういう思考になれれば相手が今どの位置に感情にいるのかを把握出来て良いわけなんですが、これが出来ない人が案外多いなって思うんですよね。

僕の周りにもいるんですが、そこで「自分の感覚でのプラスしか見えてない人」というのがいて、そういう人は「与えている自分に満足する人」という表現が適切だと思います。

言葉にするのは難しいんですが、例えば「プレゼントを貰ってもそこまで喜べないけど相手はすごく満足させた気になってる」みたいな人っているじゃないですか。

だけど相手は「自分は与えた人」だと自負しているので、自分が与えたことによってそのメモリがプラスに動いたと思い込んでいる訳なんです。(マイナスが見えていないということです)

プラスマイナスが見えている人になろう。

必ずしも「自分がされて嬉しいこと(満足できること)」を相手に与えたとしても、相手のメモリがプラスに動くとは限らないことを理解しないといけません。

そういう人は「ゼロ」までしかないメモリで生きてる訳ですが、人間の感情にはマイナスが存在するんです。

例えば、これまでの色んな蓄積があって相手のメモリが-10にあるとした時に、挽回しようと自分がプラスに動くと思って行動したとしても、相手にとっては+1されて-9になるとも限らない。

でも、そういう人はゼロまでしか見えてない(且つ行動すれば必ずプラスになると思っている)から、自分がやったことで満足してしまうんですよね。

ここまで深く考える必要はないと思いますが、このように相手の感情を「プラスマイナスのメモリ」で可視化して、今自分がこの人に与えている印象はどの位置にあるんだろうと考えられるようになれば、相手に対しての行動が変わってくると思います。

長い人生の中で良いことばかりではないし、時に相手を傷付けることもあると思うのですが、そういう時こそ「今相手のメモリは-10のところにあるんだ」と思えたら、10個取り戻そうって思えるじゃないですか。

それは自分の感覚だけでのプラスしか見えてない人には見えないメモリだと僕は思うし、心の余裕がある人にしか見えないメモリだと思います。

自戒の念を込めてもそうですが、僕はこれからの人生の中で「プラスマイナスのメモリが可視化できる人」であり続ける心の余裕を守り続けたいなと思いました。

バシッと決めたかったんですが、上手くまとまらず、結局感覚的な話になって申し訳ありません。(精進します)

一緒に頑張りましょう。

では、また明日。

WRITER
KOHTA FUKUI / Freelance Designer
KOHTA FUKUI
Freelance Designer