人は間違える生き物だからこそ間違えに謝れる人間であることの大切さ。
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人は間違える生き物だからこそ間違えに謝れる人間であることの大切さ。

2022.12.28
2022.12.28

おはようございます。FOURTEENのコウタです。

京都を拠点にフリーランスデザイナーとして活動しており、毎日休まず続けている、ランニングやブログを通じて感じた「継続は力なり」の大切さを発信したりしています。

京都を拠点に完全独学のフリーランスデザイナーとして活動し7年目。2016年から禁煙をキッカケに始めた毎日ランニングは1,830日、毎日ブログは610日を突破。(2021年12月31日現在)

多くの人は、人間とは完璧なものではないと分かってはいるものの「間違えは絶対に悪いこと」として定義しがちだったりすると思います。

そうした時に、間違えることは完全なる悪で、間違った時点で終わりだというような風潮が生まれてしまうと感じます。

ということで今回は、人は間違える生き物だからこそ間違えに謝れる人間であることの大切さ、についてお話ししたいと思います。

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人は間違える生き物だからこそ。

完璧な人間なんていない訳なので、人ってほぼ全員が間違えて生きていく生き物だということなんですが、そこで素直になれない人って沢山いると思うんですね。

要するに、間違えることは当たり前のことだと理解はしているものの、「謝れない」「認めない」みたいな人がほとんどだということなんです。

これは周囲の人間からの見方としても、間違いをダメとし、間違いのままで完結してしまうような風潮があるからこそ、間違いを正さずに認めないという状況が生まれてしまうと思います。

僕は間違いの中にも正しいがあると思っているクチの厄介な人間ではあるんですが、それでも本気で間違えたと思うことがあれば全力で謝る両極端な人間です。

間違えたことは謝れる大人になろう。

僕は自分の両親があまり謝らないタイプの人間で、これまでの人生の中で謝るということが出来ない人間だったりします。

社交辞令であっても「ごめん」って言葉が出てきづらい人間で、これが相手にとっては不快感を感じてしまうこともあったりするらしく、トラブルを生んでしまったことも沢山ありました。

言葉で表さずとも行動では全力で示すんですが、それでも必要なのは言葉という部分があるらしく、周囲の人間からは不器用な人間だとよく言われていたんですね。

川の石の角が丸くなっていくように、フリーランスで得た経験から徐々に僕も丸くなり、今ではすぐに言葉としても行動としても謝れる人間になれたと思っています。(昔に比べたらね)

誰よりも早く行動することに意味がある。

どちらかといえば僕は血の気が多い人間だったりするので、感情的になってしまい間違いを起こしてしまうことが多かったりするんですね。

ただ最初にもお話しした通り、そこで間違いを正さずに自分のエゴだけで貫いてしまっていた過去があるので、そういう自分を変えたいと思っている自分がずっと心の中にいました。

そこで僕が意識していることは、間違えたと感じたらその瞬間に誰よりも早く行動することに意味があるということで、落ち着いて冷静になった瞬間に感じた罪悪感を、すぐに行動するように心掛けています。

普通に考えて当たり前のことかもしれないんですが、家庭環境とか諸々を考えた中で、これでも僕はかなり成長した方だと自分でも思っています。(もっと頑張らないとですけど)

本当に強いのは謝る人ではなく許せる人。

そんな感じで、間違いを正して謝れる(当たり前の)ことを凄いと感じるようになった先にあったのは、「許せること」だということでした。

結局のところ間違いは誰にでもあるんですが、その間違いを許容して許せる立場の人間が一番強いんですよね。

ただ優しいから許せるということではなくて、それを許容した上で愛情を注げるという寛大な心は、その人が歩んできた人生での経験が大きく関わってくるからです。

僕は、苦労をして来た人ほど許せることが多いと感じますし、そういう人ほどに安心感を背中から感じれるような気がしています。

僕の先輩にもそんな感じの懐の深さを感じる人が沢山いるんですが、そういう人ほどやっぱり苦労を沢山して来てるんですね。

自分もそういう人間になれるように、もしも楽な道と辛い道が2つあったとしたら、必ず辛い方の道を選べるように頑張っていきたいと思います。

一緒に頑張りましょう。

では、また明日。

WRITER
KOHTA FUKUI / Freelance Designer
KOHTA FUKUI
Freelance Designer