
時計の針を動かすためにはネジを巻く時間が必要だった。
おはようございます。FOURTEENのコウタです。
京都を拠点にフリーランスデザイナーとして活動しており、毎日休まず続けている、ランニングやブログを通じて感じた「継続は力なり」の大切さを発信したりしています。
京都を拠点に完全独学のフリーランスデザイナーとして活動し8年目。2016年から禁煙をキッカケに始めた毎日ランニングは2,195日、毎日ブログは975日を突破。(2022年12月31日現在)
止まってた時間が動き出したような気がして、それは寂しくもあり、ワクワクもあり、なんとも言い表せない気持ちになりました。
そんな時計の針を動かすには、悩み、考え、苦しみ、時には間違い、自分を壊したり、僕にとってすごく辛い経験だったのは間違いありません。
ということで今回は、時計の針を動かすためにはネジを巻く時間が必要だった、というお話をしたいと思います。
時計の針を動かすためにはネジを巻く時間が必要。
僕らの人生は、デジタルの様な時計ではなくて、ネジ巻きを必要とするアナログの時計を持っていて、それは「ひとりの時計」と「誰かとの時計」といった幾つもの時計を持っていると思うんですね。
そんな時間を動かそうと思うと、僕らはネジを巻くという作業が必要なんですが、その間はずっと時間は動いているようで、実は止まったままなんだということに気付きました。
そして「ひとりの時計」を動かすためには、自分ひとりでネジを巻けるんですが「誰かとの時計」に関しては誰かと一緒に回さないといけないんですよね。
お互いがそこに対して向き合った時に初めて動かそうとすることが出来て、その作業は思いの外大変なものであることを知りました。
人の数だけ巻く必要のあるネジがある。
その時計には3つのネジがあって、例えば2人の時計であれば「Aさんのネジ」と「Bさんのネジ」の2本だけではなく、そこにプラスで「2人のネジ」があったんですよね。
いきなり2人のネジを回すことは出来なくて、それぞれがまずは個人のネジを巻き切った時に初めて2人のネジを巻くことが出来るようになるんです。
どちらかが先に個人のネジを巻き切って、じゃあ次は2人のネジを巻く準備が出来たとなった時に片方が自分のネジを巻き切っていなかったら待たないといけないんですね。
だって2人のネジは、2人の力がないと回せないから。
ネジを巻く作業とは愛情を注ぐことである。
そして僕はこのネジを巻く作業を「愛情を注ぐこと」だと思っています。
結局のところ人生は「愛情」で回っていて、愛情を注ぐのって本当に命懸けだからこそ、ただネジを巻くという作業がすごく難しいんですよね。
これまでの人生を生きてきて、僕はひとりのネジだろうが誰かとのネジだろうが、何を犠牲にしたとしても本気の愛情を注いで巻き続け、そこから逃げることは一切なかったという自負があります。
ただ、僕の人生の中では「相手がネジを巻くのを待つ時間」がすごく長かったんだなって思っていて、きっとどんなことがあってもずっと待ってしまうような人間なんだと思います。
出会えて良かったと言われる存在であり続けたい。
で、例えそのネジを巻く作業が自分だけ巻き切って、相手を待っていてもそれが叶うことがなくて、そこに残るのは自分の注いだ愛情だけだったりするんです。
でもそこに注いだ愛情は、絶対に相手には伝わるものであって、僕はそれを信じて命を削りながら愛情を注ぎ続けています。
そして、人には色んなタイミングがあって、その時しかネジを回せないタイミングっていうのもあるんですよね。
ましてや「時計が動かせない可能性」があるにしても、自分の役割は全うしないとそれは絶対に叶わないし、愛情を注いでネジを巻き続ける根気が必要なんです。
ただ、ネジを巻けば巻くほど動く時計の時間は長くなり、僕はその愛情を注いだ分だけその時計は動き続けるものだと思っています。
僕はどんな形であれ「出会えて良かった」と言われる存在でありたいと思うし、自分の人生を懸けて愛情を注ぎ(ネジを巻き)続けたいと思います。
僕が注いだ愛情に無駄なものは1つもないと思うし、僕が出会った人、愛情を注いだ人、全ての人が今もこれからもずっと大好きです。
一緒に頑張りましょう。
では、また明日。