傷付けるから傷付けられる、裏切るから裏切られる、与えるから与えられる。
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傷付けるから傷付けられる、裏切るから裏切られる、与えるから与えられる。

2022.05.28
2022.05.28

おはようございます。FOURTEENのコウタです。

京都を拠点にフリーランスデザイナーとして活動しており、毎日休まず続けている、ランニングやブログを通じて感じた「継続は力なり」の大切さを発信したりしています。

京都を拠点に完全独学のフリーランスデザイナーとして活動し7年目。2016年から禁煙をキッカケに始めた毎日ランニングは1,830日、毎日ブログは610日を突破。(2021年12月31日現在)

最近切実に思うのは、何かしらの原因で起こってしまった状況に対して、無責任に責めるという人が本当に多いことです。

そんな陰湿な世界を作り出しているもんだから、そりゃ「自殺」が増えるよなって、鬱を患っている僕は強く感じます。

ということで今回は、傷付けるから傷付けられる、裏切るから裏切られる、与えるから与えられる、というお話をしたいと思います。

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知り合いの方のSNSでの投稿に思うこと。

先日、知り合いの方が「うつ病」との付き合い方についてSNSに投稿をされていて、その内容にすごく共感をしたというか、久しぶりに僕に似た感覚を持っている人が身近にいることを知り心に、ツンと響きました。

中でも特に響いたことは「家族がいようが子供がいようが今日を生きるのがやっと」であるといったことや、「人は簡単にしぬ」ということ。

うつ病の診断事態は、正直さじ加減的な部分が多いと思っていて、依存症なんかと一緒で患者とそうじゃない人間の境界線はすごく曖昧だと思います。

ただ僕自身、うつ病を患っているという知り合いの人がいう言葉はすごく心に響くし、「人は簡単にしぬ」という言葉に対して、僕だって何度も何度も「死にたい」って思うことは沢山あるし、その度自分を必死に鼓舞して生きています。

だから僕自身も、毎日を生きるのがやっとなんです。

この世界はとても陰湿な世界だ。

例えば誰がか「殺人」を犯してしまったとして、そういったことがよくニュースになって、名前も顔も全て晒されて、当人は実刑を受けることになると思うんです。

世間の人間はそれを見て「あの人は殺人犯だ…」と、殺人を犯した人間を寄ってたかって攻撃するんですが、もちろん殺人は絶対にしてはいけないと思う反面、心のコントロールがどうしようも出来なくて仕方なく犯してしまった罪もあるのではないかと僕は心のどこかで感じるんですね。

そういう意味で、起こった事実の中での良し悪しで判断されるような、すごく陰湿な世界なんだと感じることが多々あります。

僕が鬱を持っているからこんな風な考え方になるのかは分からないのですが、僕は一般的な思考の裏にはこういった一面を持っていたりします。

裏切るから裏切られるし、与えるから与えられる。

僕は常々、自分が相手に対してやってしまったことは「自分に対していずれ返って来る」と思って行動しています。

良いこと、悪いことどちらも同じことが言えると思うし、それがどんな形であれ、良いことなら「喜び」として返ってくるし、悪いことなら「傷」として返って来ると思います。

その延長線上にあるのが、先ほどもいったように「殺人」であったりすると僕は思うので、その最終形態に対して叩くのではなく、そこに至るまでの要因に対してもっと人はフォーカスすべきだと僕は思うんですね。

僕自身もそうですが、別にストレスがなかったら怒らないし、怒る時は怒りますが、基本的には超温厚で愉快なオッサンだと思います。

自分に何かが降りかかった時こそ、相手を責めるのではなく、そんな時こそ自分を見直すべきだと思うし、自分の弱さで振りかざした剣で突き刺したことによって相手が受けた傷は事実として残り、その傷口は癒えることはありません。

起こったことの大小や、良し悪しで物事を判断して、自分だけが被害者ヅラするのは本当に無責任な考えだと僕は思います。

立ち続けるために僕は毎日ランニングをしている。

なのにこの世界の人間は、辛くて辛くてどうしようもなく、且つ誰も自分の心を楽にしようと最後まで責任も取ってくれないのにも関わらず「生きろ」と言ってくるわけです。

手を差し伸べない、責任を持たないくせに「死ぬな」と言われることは、僕のような鬱を患っている人間にとっては生き地獄同然なんですよ。

ただ実際には自分で自分の命を絶つという行為を実行する勇気はない中で、痛みを伴わないリセットボタンがあるのであればいつだって押すよと思う自分もいて、そういう意味で「人は簡単にしぬ」という言葉が僕には響きました。

正直、毎日を生きていて「楽しい」と思うことよりも、「辛い」と思うことの方が多いです。

ただ、僕らは生きるしかなくて、そんな自分を律するために、立ち続けるために良いことも悪いことも経験しながら「生きるのがやっと状態」で生活しています。

僕が毎日ランニングをしているのは「ストイック」だからじゃないんです。メンタルを保って明日を生きるためなんです。

自己主張だけじゃなく、想像力豊かで思いやりに満ち溢れた世界が広がっていくことを願って、僕は誰に対しても責任を持って同じ目線に立っていけるように、今日もなんとか生きていきたいと思います。

一緒に頑張りましょう。

では、また明日。

WRITER
KOHTA FUKUI / Freelance Designer
KOHTA FUKUI
Freelance Designer