一番大切なことのために不確定な何かを信じていろんなことを犠牲にするのはもうやめた。
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一番大切なことのために不確定な何かを信じていろんなことを犠牲にするのはもうやめた。

2024.03.11
2024.03.11

おはようございます。FOURTEENのコウタです。

京都を拠点にフリーランスデザイナーとして活動しており、毎日休まず続けている、ランニングやブログを通じて感じた「継続は力なり」の大切さを発信したりしています。

京都を拠点に完全独学のフリーランスデザイナーとして活動し9年目。2016年から禁煙をキッカケに始めた毎日ランニングは2,570日、毎日ブログは1,340日を突破。(2023年12月31日現在)

僕には僕の正義みたいなものがあって、それは19歳の時に人格を捨てた時に形成された新しい人格で「人の笑顔のために生きる」というテーマを掲げて生きていました。

そんな中で、僕が優しくなればなるほどぶら下がる人間が出てきて、まさにアリの法則(2よく働く・6普通に働く・2働かない)みたいなのような感じに完全に心が折れました。

ということで今回は、一番大切なことのために不確定な何かを信じていろんなことを犠牲にするのはもうやめた、というお話をしたいと思います。

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自分自身の優しさや正義みたいなものを貫くのをやめた。

先日も書きましたが、19歳の頃に持っていた僕の信念は「人を笑顔にするために生きる」で、これまでの人生の中で来るもの拒まず、頼られれば命懸けという人生を生きて来ました。

沢山の感動をもらった反面、沢山の裏切りも経験した僕の人生の中で、背負うものが大きくなればなるほどに自分自身のキャパの限界を感じて、自分自身の優しさや正義みたいなものを貫くのをやめようと考えるようになったんです。

一方的に信じ続けている自分自身のことは好きではあるんですが、いつからかそれが原因で自分自身の心が砕けるような感覚になり、信念を貫けない訳ではない中で、これは老いなのかと感じる瞬間が出て来たんですね。

そんな中で、自分を支えてくれる大切な人に、僕と同じような負荷をかけてしまうこともあったし、周囲から見れば「もっと自分のために生きろ」と、(人の気持ちも知らずに)心無い声をかけられていたことに悲しみを覚えていました。

人は浅はかで人は簡単に裏切る。

いろんな人を見て来た中で、もちろん僕の周りには「情に厚い人」は山ほどいて、だからこそ色んな部分で見極めが難しいところはあるんですが、トータル的に見れば人と人の絆なんて浅はかで簡単に裏切られるものだと思います。

それは血が繋がった家族だからということは正直関係なく、親友と呼ばれている立場の人間なんかも関係なく、自分自身のメリットが今以外に向いた時にはアッサリと今を捨てられるんですよね。

結局、それが出来ない(僕のような謎に情に厚すぎる)人だけが傷付く世界があるんだと、悟りたくはなかった中で、やとこの歳になってそういうものなんだと悟らざるを得ない気がしました。

それが悲しくて、そういう現実にこれまで何度も立ち向かった訳なんですが、もうこの歳になって先も短い中で、大切な人を巻き込むのは違うなと思えるようになったんですよね。(遅すぎるバカですね)

偽って冷たく生きることが僕の人生のテーマ。

今までの僕は「真っ直ぐ前に走り抜ける」という心を信じて走って来ましたが、それは若さ故の命知らずのエネルギーがあったからなんだと思います。

今年に入ってから特にですが、色んな人の薄汚い心の移り変わりのようなものを感じている中で、何だか心の底から優しく生きるということが少しアホらしくなって来たように感じていました。

そんな中でも僕は、軸をブラさない生き方を貫こうとしていましたが、これは戦略的撤退として「純粋さはもう捨てる」という選択をし、もう無理な自己洗脳をするのはやめようと思います。

結局、ほとんどの人(9割以上)が目先のメリットを取るためだけに、無責任でええカッコしいをして来る最終的には自分が可愛い人間だということを知っておいた方が楽なんですね。

僕は僕の大切なものだけを守る。

話はそれますが、僕が人生のバイブルだと思っている漫画NARUTOに出てくるキャラクターの中で、最も好きなキャラクターは「我愛羅」なんですよね。

(分かりやすく表現しますが)このキャラクターは生まれてからお腹の中に怪物を飼っていて、それが暴走したらどれだけ強い大人でも手をつけられなくなるんです。

ただそれは「怪物を身体の中で飼う生贄となる」という選択を迫られたからで、言い換えれば「怪物の暴走を止める器として英雄である」ということなんです。

ただ、それが暴走すれば我愛羅自身が怪物扱いをされるんですが、普段の人々は我愛羅を英雄として表面的には崇めつつも、裏では心無い言葉を交わすような存在な訳です。(それが原因で近親から暗殺未遂を受けます)

きっと僕にはそういう背景があって、いくら家族だろうが親友だろうが「いつ暗殺(見捨てられる)されるか分からない」という感覚を持っているんですね。

ただ、我愛羅はそんな状況にも関わらず、名前にあるように常に「愛」を持って生きていて、本当の愛を探し続けるために(時には身近な人に危害を加えながらも)最終的には自分自身を貫き通しました。

僕自身も、今はこういうタイミングなのかもしれませんが、自分自身の大切な人をこれ以上傷付けないように、愛を持つという根は腐らせず、冷たさだけを少し自分に取り込みたいと思います。

一緒に頑張りましょう。

では、また明日。

WRITER
KOHTA FUKUI / Freelance Designer
KOHTA FUKUI
Freelance Designer