心から信じれば傷付くけど心から信じなければ伝わらない。
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心から信じれば傷付くけど心から信じなければ伝わらない。

2024.03.21
2024.03.17

おはようございます。FOURTEENのコウタです。

京都を拠点にフリーランスデザイナーとして活動しており、毎日休まず続けている、ランニングやブログを通じて感じた「継続は力なり」の大切さを発信したりしています。

京都を拠点に完全独学のフリーランスデザイナーとして活動し9年目。2016年から禁煙をキッカケに始めた毎日ランニングは2,570日、毎日ブログは1,340日を突破。(2023年12月31日現在)

人生において「信じる」ということは非常に諸刃の剣のようなもので、人が人として生きていく中で重要であるにも関わらず、非常に難しいことなんだと感じています。

ふとそんなことを考えていると、同じ「信じる」という感情でも捉え方や感じ方次第で全然違った感情になることに気付きました。

ということで今回は、心から信じれば傷付くけど心から信じなければ伝わらない、というお話をしたいと思います。

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人と人をつなぐ「信じる」という目に見えない感情。

皆さんは、一体どんな人を「信じている」と言えますか?また、その信じているが「絶対に裏切らない」という保証を持つことは出来ますか?と聞いた時に、答えられる人っているんでしょうか。

僕は家族を信じるということすらままならないですが、家族にでもない限り「絶対」を言える人ってほぼゼロに近いんじゃないかなーって思っています。

捉え方を変えたら「信頼出来る人の方が珍しい = 疑いながら生きている」ということだと僕は思っていて、そういう世界が生きづらいなと感じているんですよね。

本来、人と人をつなぐ「信じる」という目に見えない感情が、言い方は悪いかもしれませんが、事実として当たり前に持てないような疑心暗鬼が蔓延る世界ってなんだか悲しいです。

心から信じれば傷付く世界。

そんな感じで、人って本来は信じ合って手を取り合って生きていくのが正しく平和な生き方のような気がするんですが、綺麗事を言わずに言えば本当に廃れた世界だなって思うんですよね。

珍しいことって引き立ってよく見えたりするという感じはあると思うんですが、そういう世界だからこそ、信じる気持ちが繋がった時がよく見える訳じゃないですか。

改めてこういう風に言語化すればするほどに悲しい(ことの方が圧倒的に多い)世界だなって、寂しく思えてきました。

良いことばかりの中で、悲しいことがあれば助けあうくらいの感じがベストな感じの中で、悲しいことばかりの中で、良いことがあったとしても、それはそれで妬まれたりするような難しい状況だってありますよね。

信じていればワクワク信じていなければドキドキ。

そういう感情的な部分をなんとか言語化しようと考えていたんですが「信じる」という中でも、似てるようで全然違う2種類の感情が生まれるんだなって思ったんですよね。

例えば、相手に何かしらのアクションを求めている時に、相手を信じている場合は「ワクワク」みたいな感覚を持つと思うんですが、心から信じられていない場合は「ドキドキ(ソワソワ的な方)」みたいな感じだと思ったんです。

そういう風に考えた時に、「ワクワク出来る瞬間の価値」をもっと大切にした方が良いんじゃないかと思うようになりました。

考えてみて欲しいんですが、人生を生きていて「ワクワクする」って結構珍しくないですか?

でも心から信じなければ伝わらない。

そんな中でも、結局のところ「信じたら傷付くことが多いけど信じないと伝わならい」ってことが言えると思うんですよね。

なんとも理不尽というか、厳しいというか、リスクが高いというか、当たり前のことを当たり前に出来てないことって多いなって改めて思いますよね。

僕はどちらかといえば「疑わず信じ続けるタイプ」なので、傷付くことの方が圧倒的に多いんですが、傷付くのは不健康だからこそ、それをしなくなってくるんだと思っています。

信じれば信じるほどに壊れることも多いんですが、やっぱり僕は信じ続けられる側であり続けたいなって思って生きています。

伝えたいことが上手くまとまらなかったかも知れないんですが、言語化すればするほど悲しくて、信じ続けている人間からすれば、すごく理不尽で悲しい世界があるという気持ちになったということでした。

一緒に頑張りましょう。

では、また明日。

WRITER
KOHTA FUKUI / Freelance Designer
KOHTA FUKUI
Freelance Designer