自分の周りに「会話の出来る人」がどれだけいるか考えてみた。
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自分の周りに「会話の出来る人」がどれだけいるか考えてみた。

2022.03.12
2022.03.12

おはようございます。FOURTEENのコウタです。

京都を拠点にフリーランスデザイナーとして活動しており、毎日休まず続けている、ランニングやブログを通じて感じた「継続は力なり」の大切さを発信したりしています。

京都を拠点に完全独学のフリーランスデザイナーとして活動し7年目。2016年から禁煙をキッカケに始めた毎日ランニングは1,830日、毎日ブログは610日を突破。(2021年12月31日現在)

普段から僕らは言葉を使ってコミュニケーションを取っているんですが、世界中の色んな人と人がいる中で「分かり合えない人」っていたりしますよね。

言葉にはそれぞれ決まった意味がありますが、それをAさんとBさんが同じように使っていたとしても、 「Aさんの良い」と「Bさんの良い」は違ったりするわけです。

ということで今回は、自分の周りに「会話の出来る人」がどれだけいるか考えてみた、というお話をしたいと思います。

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気持ちは同じでも「会話が出来ない」ということの辛さ。

会話が出来ないということがどういうことかを説明することは難しいんですが、例えば「ありがとう」という言葉が、Aさんには「感謝」として伝わる一方で、Bさんには「嫌味」に聞こえることがあったりします。

言った本人は感謝の思いを伝えているのにも関わらず、それが嫌味として捉えたらたら「え?なんで?」ってなるわけじゃないですか。

嫌味を言うつもりはないのに、相手の捉え方次第で喧嘩やトラブルになったり、「そんなつもりなかったのに…」という感じになった瞬間は寂しくなってしまいますよね。で、そういうことが続けば、やっぱり話したくないとなってしまうわけです。

気持ちは同じでも「会話が出来ない」ということの辛さはあって、そんな中で「会話の出来る人」がどれだけ貴重な存在かが分かると思います。

自分の周りにいる「会話の出来る人」は誰か。

そこで、自分が「会話の出来る人」と思う人がどれだけいるかを考えてみたんですが、少なくとも僕の家族の中には1人もいないと感じています。基本的に感覚が合わないんですよね。

それは僕がフリーランスとして生きてたり、在宅ワーカーであったり、デザイナー(クリエイティブなお仕事)であったり、色んな事情があると思うんですが、そもそも取り入れる情報の場所や、付き合う人も違うからカテゴリーが違うんですよね。

僕が生きて来た道のりと同じような生き方をして来た人間が周りにいないので、話せることが限られてくるし、そういう意味でそもそも話が合う人っていないんです。

そんな中、お仕事を一緒にさせてもらっているクライアントさんの多くは、僕と同じように成り上がりで奮闘しておられる方が多いので、似たような境遇で苦労を経験されて来たこともあり、話が出来る人が多いんですよね。

なので僕は、クライアントさんとは特に良い関係を築けているんだと思います。

そもそも会話をすることの意味とは何か。

で、そもそも会話をすることの意味とは何かを考えてみたんですが、意味のないこと(何も残らないこと)を話ししていても意味がないじゃないですか。そんなこともあって僕は「非建設な愚痴」をいう人とは距離を置いたりします。

愚痴の中にも色々あると思うんですが、人間普通に生きていればストレスが溜まることもあるし、そういうのを吐き出したい瞬間もあると思うんですね。ただ、それが人を貶すだけのものであれば無意味で聞き手は地獄だと思うんです。

相談するならするで、そこで話したことに耳を傾けて改善に向かわないといけないし、そういうことなら聞き手も話を親身になって聞いたり、アドバイスしたりしようとするわけですよね。

それを「聞いてくれるだけで良い」なんて意味が分からないし、そんなサンドバック状態に人の時間を使うなと思うんです。もしそういう形で一方的な愚痴を言うとすれば、せめて自分が試行錯誤した上での結果を持って来て欲しいと感じます。

「会話の出来る人」を大切にしてほしい。

そういう意味で「会話の出来る人」ってすごく貴重な存在だと僕は思っていて、そういう存在がいることで建設的な時間を多く得られると思うし、無意味な時間を減らせると思うんですね。

中身のない話をするよりは、断然中身のある会話をしたほうがいいし、そういう会話をしようと思えば思うほど、情報を取り入れることが必要になるので、普段からの行動が変わって来たりもすると思います。

僕は在宅ワーカーでありデザイナーなので、パソコンに向かうことが多く、あまり人とのコミュニケーションを取ることは多くはないんですが、ブログでの発信を継続することで、そういった部分を補えているとも感じています。

先日、知り合いの方から「最近の若い子は会話が出来ないんだけどブログって意味ある?」と聞かれて即答でYESと答えたこともあったんですが、やっぱり自分自身が思っていること、感じていることを言語化することで表現力が上がっていくと思います。

人と人、完全に分かり合うことは難しいこともあると思うんですが、自分の表現力を豊かにしておくことで、繋がれる可能性は広がっていくと思うので、何かのきっかけとして文章を書くことは良いかもしれません。

一緒に頑張りましょう。

では、また明日。

WRITER
KOHTA FUKUI / Freelance Designer
KOHTA FUKUI
Freelance Designer