僕が人を信じなくなったのは、冷たいからではなく信じた人に裏切られたからだ。
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僕が人を信じなくなったのは、冷たいからではなく信じた人に裏切られたからだ。

2022.03.31
2022.03.31

おはようございます。FOURTEENのコウタです。

京都を拠点にフリーランスデザイナーとして活動しており、毎日休まず続けている、ランニングやブログを通じて感じた「継続は力なり」の大切さを発信したりしています。

京都を拠点に完全独学のフリーランスデザイナーとして活動し7年目。2016年から禁煙をキッカケに始めた毎日ランニングは1,830日、毎日ブログは610日を突破。(2021年12月31日現在)

自分で言うのもなんですが、僕ってそこそこ情に厚いタイプだったりして、自分が大切だなと思った人に対しては何があっても最後まで尽くし続ける人だと思います。

明らかな不義理をかまされたりすること以外は、やっぱりずっとその人を大切だと思い続けますし、何か困ったことがあれば自分の犠牲を厭わない自負があります。

ということで今回は、僕が人を信じなくなったのは、冷たいからではなく信じた人に裏切られたからだ、というお話をしたいと思います。

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そもそも相手の善意を裏切る奴の気が知れない。

人と人との関係ってすごく難しいと思うんですが、僕は過去に接したことのある人で不義理なことをされたことのある人以外、どうしても嫌いになったりは出来ないんですよね。(当たり前のことを言ってますが)

ただ、中には「善意」に対して自分だけのクソみたいなプライドを正義のように掲げて貫いて来る人がいて、僕はそういう経験を沢山してその度に心を痛めて来ました。

その正義に対して、何が正解かって基準はあってないようなものなんですが、僕の中では「自分含めそれ以外の人間も幸せになること」だと思っているんですね。

自分だけのために、誰も喜ぶことなく、周りがその状況を納得せざるを得ないようになってしまっているような感じがすごく嫌いなんです。

僕は相手に対して冷たくなりたくてなってる訳じゃない。

冒頭でもお話ししたんですけど、僕って人一倍情に厚い人間だと思うんです。僕と接したことのある人は分かると思うんです。冗談抜きで。

ただそんな中で、やっぱり不義理を感じた瞬間て一気に冷めてしまう瞬間って誰でもあると思うんですけど、僕の場合はそれでも完全にそこでキッパリ切れるような感覚で付き合っていることはないんです。

なので、そういう経験を繰り返す中でずっと引きずるというか、辛い思いを続けることならいっそ冷めてしまった方が楽だっていう感覚になって、自分の中で1枚壁を作ってしまっているような感覚になってしまったんですね。

傷付きたくないからこそ人を信じるのを止めたのは、それは紛れもなく自分の責任じゃないと僕自身は思っています。

今の僕の冷たさを見て正義者ぶるな。

そういう境遇を与えた人間の中には、自分の行動に反省することなく、これも自分だけのクソみたいなプライドを正義として掲げて、挙句の果てには「お前冷めてるよな」みたいな避けた目で見てくる人がいたりします。

僕の周りにももちろんそういう人間は数人いますし、僕はそういう人間を心から信頼することをいつからか止めました。だってもう信じることに疲れてしまったので。

結局そういう情の薄い人間って、大きな苦労もせずに生きて来たってことが多いので、どんな熱さを持って訴えようとも絶対に響くことがないんですよね。なのでそういう部分に労力を使うことが無駄なので、「もう知らねーよ」って投げ出した方が何倍もエコだったりします。

そんなことよりも、自分にとって守りたい人って別に必ずしも身近に存在するとは思わなくなったし、血が繋がってようがなかろうが人は人なんで、裏切って来る人間は裏切って来るんですよね。(自分のプライドを守るためだけに)

そういう意味での冷たさが強さに変わったここ数年。

で、そんな中で自分が出来ることといえば「自分自身が強くなること」で、正直あまり良い方向ではないのかもしれませんが、「自分ひとりで生きていけるようにする」という部分を最低限担保していかないといけないと思ったんですね。

腹が立つことは山ほどありますが、その矛先を腹が立つ対象に向け続けていては自分の格を下げていくだけだし、何よりそんなところに時間と労力を使っていても成長はありません。

そういう意味で僕は、冷たさという名の冷静さを保ちながら、心の奥底では「今に見とけよ〇〇…」みたいな感じで闘志を燃やし、そういう人間を反面教師として捉えて努力し続けました。そうです、僕の原動力はいつだって反骨心(とか復讐心)なんですよね。

大した器でもない人間と競うまでもなかったんですが、そういうエネルギーがうまく作用して、あっという間に追い抜き、お陰で僕は晴れて自分の力だけで生きていける人間になることが出来ました。(ある意味で感謝ですね)

必死に行動する生き方の中で、本当に大切にしたいと思う仲間に出会えたし、僕はそういう意味で不義理を経験したことをポジティブに変えることが出来ました。(不義理を働いた人間に感謝は1ミリもありませんけど)

どんな力もポジティブに変えていけるとその時感じたので、そのエネルギーをどの方向に使うのかを考えて、怒りや悲しみだって強さに変えていけば、未来を明るくすることが出来ると思います。

一緒に頑張りましょう。

では、また明日。

WRITER
KOHTA FUKUI / Freelance Designer
KOHTA FUKUI
Freelance Designer