
神様は一生懸命な人にだけその瞬間に必要なタイミングをくれる。
おはようございます。FOURTEENのコウタです。
京都を拠点にフリーランスデザイナーとして活動しており、毎日休まず続けている、ランニングやブログを通じて感じた「継続は力なり」の大切さを発信したりしています。
京都を拠点に完全独学のフリーランスデザイナーとして活動し8年目。2016年から禁煙をキッカケに始めた毎日ランニングは2,195日、毎日ブログは975日を突破。(2022年12月31日現在)
ここ数日、怒涛のような感情の変化で何年間もの時間を凝縮した濃密な時間を過ごしたような気持ちになりました。
泣いたり、笑ったり、いろんな感情に触れた中で「自分には必要な時間である」ということを強く感じたんですね。
ということで今回は、神様は一生懸命な人にだけその瞬間に必要なタイミングをくれる、というお話をしたいと思います。
自分の可能性を広げるための努力。
例えば僕のお仕事の話でいえば、僕はカメラを触ることがすごく苦手で「こんなもん覚えられる訳がない」と思って一旦カメラから離れた時期がありました。
ただ「可能性(仕事を受ける幅)を広げなければ」という感覚を持った時に、苦手だけどやれるだけ勉強してみようという気持ちになり、そこからチャレンジを続けたんですね。
何かあればカメラを持って外を歩き、あーでもないこーでもないと模索しながら、必死にカメラを理解しようともがきました。
その結果、僕は「カメラを持っている人」から「写真を撮れる人」という認識に周囲の目が変わって来て、そこから簡単な写真撮影を仕事の一部に組み込めるようになり、いつからかそれが僕の受けられる仕事として確立したんです。
一生懸命な人にだけ訪れるチャンス。
そんな感じで、一生懸命な人にしか訪れないチャンスっていうのは確実にあって、カメラは無理だと投げ出したままの僕には絶対に訪れることがなかったものなんですよね。
「カメラを一生懸命学んだから」と同じようなことが、人生の中では山ほどあって、だからこそどんなことでも一生懸命であることが大切なんです。
僕はそれを自分の人生で体現して来たからこそ、常にひたむきに全力で戦うことをやめない訳です。
そしてそれこそが、神様は一生懸命な人にだけその時に必要な人やタイミングをくれるというにつながるということなんです。
神様は一生懸命な人にだけその瞬間に必要なタイミングをくれる。
僕はここ数日、本当に神様がいるんだろうかと考えさせられるほどに濃密な時間を過ごして、自分自身の「生」を実感することとなりました。
「人が人として生きる」という、ただ生きるだけでも難しいこの世界で、自分自身がぶっ壊れそうになるような感情を爆発させながら、僕はそれと向き合い続けました。
神様がくれた、一生懸命な人にだけ与えられる「タイミング(瞬間)」を、僕は沢山の迷いと共に過ごしたんですね。
全ての答えが正解だと思えたし、全ての答えが不正解だとも思ったその選択は、きっとまだこれから先の未来で本当の答えと繋がっているんだと僕は思います。
全ては終わることなく始まり続ける。
僕はこの人生において何かが終わることって1つもないと思うんですよね。
例えば何かをやめる時の決断って、形的には「やめる = 終わり」と感じるかもしれないんですが、僕には「やめるという決断をした未来」が始まるんだと感じられたんです。
僕らはいろんなことに葛藤して、何かを決断して生きていっている一方で、ただ何かを決断しない限り動かない時間があるということも事実です。
要するに、「全ては終わることなく始まり続ける」ということなんです。
僕はそれを「美しい始まり」だと思えるし、そこで僕たちに出来ることは「チャンスを掴む可能性を生み続ける努力」だと思えました。
僕らの命が終わらない限り、僕らの可能性は無限大で、僕らが終わりと決めた時にその可能性が消え、その瞬間に本当の終わりを迎えると思います。
一生懸命な人の人生は「美しい始まりの繰り返し」だと思います。
一緒に頑張りましょう。
では、また明日。