自分のために生きられないからこそ理解されない苦労している人生を歩んで。
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自分のために生きられないからこそ理解されない苦労している人生を歩んで。

2023.10.25
2023.10.17

おはようございます。FOURTEENのコウタです。

京都を拠点にフリーランスデザイナーとして活動しており、毎日休まず続けている、ランニングやブログを通じて感じた「継続は力なり」の大切さを発信したりしています。

京都を拠点に完全独学のフリーランスデザイナーとして活動し8年目。2016年から禁煙をキッカケに始めた毎日ランニングは2,195日、毎日ブログは975日を突破。(2022年12月31日現在)

時に僕は「鬱期」の様な瞬間に入ったりするんですが、それは決してただの周期的な波ということではありません。

悲しいかな「自分のため」という生き方が一切出来ない僕の人生の中で、それに呼応してくれない人との関わりが生まれた時にそういった状態になるわけです。

ということで今回は、自分のために生きられないからこそ理解されない苦労している人生を歩んで、というお話をしたいと思います。

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自分のために生きられない人生を歩んで。

このブログを読んでくださっている方はご存知だと思うんですが、僕は19歳の頃に「生きる希望」みたいなものを無くしてしまい、命を断つ勇気はなかった中で「ただ生きる」というを拒絶した自分と自問自答を繰り返しました。

そんな中で、友人の深刻な相談に乗った時に「ありがとう」と涙されたことがキッカケで、僕の心の中に「自分が生きる意味」の様なものを感じ、そこから「誰かの笑顔のために生きる」という漠然としたテーマで歩き始めました。

そこからの僕の人生は、自分が未熟であったり、良い意味でも悪い意味でも優し過ぎたりしたこともあって、「甘え」とか「利用」みたいな付き合いをされることが増えて来たんですね。

そんな僕は「何か食べたいものある?」と聞かれても、「どこか行きたいとこある?」と聞かれても、いつだって僕の返事は「あなたの行きたいところに行こう」というのが決まった答えの様な生き方をして来ました。

人のために生きるという感覚を理解されない苦労。

僕が働いているのは「人のため」で、僕が貯金をしているのは「人のため」で、僕が学ぶのは「人のため」で、要するに僕が生きていること全ては「人のため」なんです。

でもこれを本気で僕が思っていたとしても、同じ様な感覚を持っていない人間からは「偽善者」と言われたり、そもそも「そんな訳あるか」と小馬鹿にされたりするんですよね。

そんな僕は、いつも言いますが「目の前に痛みを伴わない人生のリセットボタンがあったら押しますか?」という状況になれば、迷わずに「はい」と答えると思います。

要するに僕は「生きてる」というよりかは「生き残ってる」ってことなんですよ。

僕は「生きてる」というよりかは「生き残ってる」ということ。

ほとんどの人に理解されることはありませんが、何が楽しくて生きてるのかと聞かれたら「誰かの笑顔のため」って感じに答えます。

要するに「お金稼ぎたい」とか「良い車に乗りたい」なんて感覚は一切ない訳で、僕はきっと「人の笑顔」のために生きてるというよりは「生かされている」という表現が正しくて、そのお陰で「生き残ってる」ってだけだとここ最近痛感しています。

冒頭でもお話ししましたが、時にやって来る「鬱期」というのは決して僕の問題ということではなく、同じ志を持って同じ方向を向いていた(と思っていた)人が「急に自我を出し始めた(自分だけを守り始めた)」みたいな瞬間にやって来ます。

人って最初は良い格好するんだなって思って、「あぁコイツも同じか…」みたいな感じの虚無が生まれた時に、猛烈に「じゃあ僕は何のために生きてるんだろう?」っていう焦燥に駆られる訳なんですね。

僕は「人の笑顔」にしがみついて生きている。

僕が屁理屈なのか、周囲の人間が屁理屈なのかは分からないのですが、僕が人のために生きているということを言えば「それが自分のためじゃない?」って言われたりします。

そういう人間に限って自分のことしか考えてなかったりするので、一生僕のこの感覚は理解出来ないとは思うのですが、そんなこんなで僕は「人の笑顔」にしがみついて生きてるんだなって思うんですね。

やったことあるないとかの話ではないと思うんですが、これって結構しんどくてですね、何がしんどいかといえば「一方的に信じ続けるしかない」ってことと、それを継続し続けるしかないってことなんです。

要するに「信じるしかないから切れることがない」ということで、その分母がどんどん増えていく中で「背負うもの」が増えて来る様な感覚なんですよ。

でも僕はそんな多くのものを背負えるほど強い人間ではなくて、弱い自分のケツを叩いて強く立ち続けるために必死なので、強いと思われ続ける辛さを理解してもらえることはないと思います。

でも僕は「自分から切る」なんてことは絶対にしませんが、僕に「甘え」とか「利用」として依存している人間がいたら絶対に約束してほしいなって思います。

僕がもし死んでも、絶対に泣かないでください。

僕にも限界があるんだなってことを痛感した日々はありますが、それでも僕はまだここから強くなっていきたいと思います。

一緒に頑張りましょう。

では、また明日。

WRITER
KOHTA FUKUI / Freelance Designer
KOHTA FUKUI
Freelance Designer