避けられる人から愛される人へ。
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避けられる人から愛される人へ。

2025.10.09
2025.10.09

最近ふと、自分は愛されているんだと思う瞬間を感じることがあります。

マスコットのようにスポットライトを浴びてキラキラして、誰からも愛されるようなチヤホヤされる愛ではなく、心の奥の方で繋がっているような、かけがえのない自分と向き合ってくれるような愛。

それを叶えたのは『誰よりも自分が人を愛する』ということでした。

昔の自分を思い返した時に、僕を形容する言葉には「尖り」があって、これは弱くて何もない自分を律するために作られた自分のキャラクターを無理やり演じていた節があったんだと思いました。

無理しているつもりはなくても若さ故、丸みみたいなものがなかったんだと思います。

今ももちろん名残はありますが、どうして今のように変われたのかなってことを考えたんですが、それはきっと「痛みから愛を知った経験」が増えたからだと思います。

自分で言うのもなんですが、僕が愛するということはきっと一般的なものよりも強く、それは「痛みをイメージして共有出来る」という部分にあると思います。

だからなんか困ってる人をほっとけないお節介野郎なんですね。で、トコトン付き合っちゃう。

話せば長くなるんで超割愛しますが、僕が実家が差し押さえになって、電気も水道もガスも無くなって、明日食べるご飯もないってなった時に、最初は色んな人が助けてくれて嬉しい反面、最初だけの支援って過ぎれば結構堪えるんですよ。

もちろん贅沢な意見なのは分かってるんですが、やっぱり一度手を差し伸べるなら、大きな支援ではなくても良いので「継続的」って大切だなって思うんですよね。

だから僕は、中途半端な気持ちで人と接しようとはしないし、やるならトコトン最後まで向き合う覚悟を持ってます。(野良動物に餌やっちゃダメ的な)

余談ですが、僕の命の恩人のダウンタウンの松本人志さんが、SMAPの中居君と共演したドラマ「伝説の教師」で言ってた『中途半端な正義は1番の悪』って言葉を僕は大切にしています。

で、よく「人を愛するにはまず自分自身を愛すること」っていう人が多いんですけど、それもあるなとはありつつも、結局のところ大体の場合は「自分を愛することだけで終わってる」って人が多いと思います。

要するに『中途半端な正義』を自己肯定して納得してる人が多いってこと。

だから変に色んなところに片足突っ込んで、(善者と思ってるんでしょうけど)偽善者ぶってる人を見るとなんか自分はそうなりたく無いなって思うんですよね。

僕は、人を誰よりも愛してる自分自身を愛してるので。

自分が向けたちょっと強めな愛が、いい循環を生んで、自分含む関わった人たちが最後に幸せだったって思える世界で残りの人生を生きたいなと思います。

一緒に頑張りましょう。

では、また。

WRITER
KOHTA FUKUI / Freelance Designer
KOHTA FUKUI
Freelance Designer