誰かのために生きるという孤独と向き合い続けて。
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誰かのために生きるという孤独と向き合い続けて。

2023.11.21
2023.11.21

おはようございます。FOURTEENのコウタです。

京都を拠点にフリーランスデザイナーとして活動しており、毎日休まず続けている、ランニングやブログを通じて感じた「継続は力なり」の大切さを発信したりしています。

京都を拠点に完全独学のフリーランスデザイナーとして活動し8年目。2016年から禁煙をキッカケに始めた毎日ランニングは2,195日、毎日ブログは975日を突破。(2022年12月31日現在)

皆さんは、先日話題になった朝倉未来選手とYA-MAN選手の試合についての一連の騒動はご存知でしょうか?

僕は格闘技が大好きで、命懸けで戦う選手達の物語に一喜一憂させていただいたり、何よりも勇気をもらっていて、僕の中では1つの生きる希望だったりするので、いてもたってもいられずこの記事を書きました。

ということで今回は、誰かのために生きるという孤独と向き合い続けて、というお話をしたいと思います。

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国と国や個人と個人しか見ていて燃えない理由。

この格闘技の話をする上でまずお話しておきたいのは、僕はずっとサッカーをやっていましたが、実はJリーグや、野球でいうところのプロ野球に関しては全く興味がありません。

なんか、日本国内の人間達で戦っていることにはあまりチーム性を感じなくて、例えばW杯みたいに「日本 vs ドイツ」みたいな試合に関しては応援したくなるので、サッカーは基本的にW杯、野球はWBCくらいしか見ないんですよね。

そんな中で「個人」に関しては少し感覚が違っていて、例えば久保建英選手がサッカーのスペインリーグで活躍していたり、大谷翔平選手がメジャーリーグで活躍しているのは応援したくなるって感じなんです。

なので格闘技に関しては、日本人同士で戦っていようとも、完全に「個人 vs 個人」の構図になるので、それぞれの物語を持って命懸けで戦う姿に心を打たれますし、昔から僕は色んな選手の物語に感情移入しながら試合を楽しませてもらっています。

格闘技という一対一の戦いの孤独。

僕は以前、実際に大きな団体で戦っているプロの選手にジムで技術を教わったことがあるんですが、その時に初めてキックボクシングのリングの中に立たせてもらったことがあるんです。

その時に、プロ選手(トレーナー)の方とリングの角と角で対角に向き合った時に、想像力が豊かな僕はリングの外に観客がいることを想像して、このリングにたった2人の状況に少し孤独を感じたことを覚えています。

人を本気で殴ったり蹴ったりしたこともない僕の想像力は実際のそれとは遥かに違うものだと思いますが、それでも「これからこの人と戦うんだ」という恐怖は、一種の覚醒状態になる研ぎ澄まされたゾーンなんだと想像出来たんです。

僕はそんな状況を実際に(たかがジムでしたが)プロの選手と向き合った時に体感して、さらに格闘技(一対一で戦う競技)をしている選手へのリスペクトが高まりました。

朝倉未来選手のダウンシーンを見て。

良くも悪くも尖って見える方なので、もちろん賛否両論あると思うのですが、僕は朝倉未来選手からは得体の知れない「強い愛」を感じていました。

朝倉選手は過去も壮絶で、10代の頃から本気で死んでも良いと思っていたようで、その時からすでに遺書を書いて喧嘩に明け暮れていた時期があったみたいなんですが、きっとそれは「自分の存在価値」を探していたんだと僕は思えるんですよね。

生きる意味を探すために(戦いを挑まれたら)戦って、その延長線上に格闘技に出会って、そんな格闘技に恩を感じ、その恩を返すために格闘技を盛り上げようと色んな角度からの認知を集めているパイオニアなんです。

地位も名誉も金も全て手に入れても尚、いつだって「誰かを楽しませたい」ということだけを考えて、格闘技というものを背負って、ファンというものを背負って、それを体現している彼のダウンシーンは重く深く、目に、そして心に突き刺さりました。

死に場所を探していたということへの共感。

実際に僕は「誰かのために」と思って生きている中で、彼のような規模感ではないですが、まさにここ最近「何のために生きてるんだろう」と思うようなことがあって、今まさに彼は「死に場所を探していた」みたいな状況にあったような気がしました。

それはSNSかニュースかのどこかで見た内容だったんですが、試合を終えた彼は記憶が飛んで「自分が誰か分からない」みたいな状況の中YouTubeを更新して「客観的に見て引退です」と言ったんですよね。

そこで心配していたのが「格闘技は盛り上がったのか?」ということで、自分が色んな形で格闘技を発信をすることや、自分自身が戦うことでファンは喜んでいるのかということを記憶を失いながらも聞いていたことに彼が背負っていたものの大きさを世間は知ったことと思います。

ここ最近は連敗が続き、それもこれもファンのために盛り上げようという茨の道を歩んだからこその結果であって、そんな中でSNSの誹謗中傷を含めて、自分自身のモチベーションを保つのが難しかったんだろうと思うんですね。

一夜明けて記憶を取り戻したようで、SNSではやはり彼の功績や人望を評価する声に溢れ、色んな著名人からのメッセージを見て、僕は「こんな人になりたい」という気持ちに久しぶりになりました。

彼と、その彼を取り巻く関係の絆みたいなものに触れて、僕自身が忘れかけていた(忘れたくないけど捨てようとしていた)熱い感覚を、もう一度諦めずに信じてみようと思えました。

何だか感情的になってしまった1日だったので、内容がまとまっていない部分があるのですが、とりあえず僕は、ここからまた気を引き締めて、謙虚で優しい人間になりたいと思います。

何かが還ってきました。

ありがとう。

一緒に頑張りましょう。

では、また明日。

WRITER
KOHTA FUKUI / Freelance Designer
KOHTA FUKUI
Freelance Designer