人間関係を壊さないための契約書のあり方を考える。
おはようございます。FOURTEENのコウタです。
京都を拠点にフリーランスデザイナーとして活動しており、毎日休まず続けている、ランニングやブログを通じて感じた「継続は力なり」の大切さを発信したりしています。
京都を拠点に完全独学のフリーランスデザイナーとして活動し9年目。2016年から禁煙をキッカケに始めた毎日ランニングは2,570日、毎日ブログは1,340日を突破。(2023年12月31日現在)
日本では「契約書を交わす」という文化が根付いているかといえば、(特に一般的な方からすれば)そうではないことが多いのかもしれません。
例えば、家を借りたり、借金をしたり、身近なもので言えば携帯電話の契約なんかでもやったりしますが、あれってどちらかと言えば「珍しいこと」ですよね。
ということで今回は、人間関係を壊さないための契約書のあり方を考える、というお話をしたいと思います。
あまりにも敷居が高すぎる契約書。
冒頭でもお話ししましたが、普段みなさんの生活の中で「契約書」って滅多に交わさない(書かない)ものだったりすると思うんですよね。
一方で、クリエイティブなお仕事をする中では、もちろん人によって全然違ったりもする部分があるんですが、こまめに契約書を交わしたりする人もいたりするんですよね。
少し掘り下げてお話しすると、例えばロゴデザインをする時に「そのロゴデザインをどのように使用するか」みたいな制限を決めたり、あとはスタンダードに「支払い期限(金額)」とか「納期」みたいなことを取り決めたりするんです。
なぜそういうことを決めるかと言えば、僕も過去に色々と経験をして来たんですが「制作途中に飛ぶ(音信不通になる)」みたいな人がいたり、「納品後にお金を払わない」みたいな人もいたりするのが現実なんですよね。
海外と日本の契約書に対する考え方の違い。
で、正直なところ、制作をする上で、こまめに契約書を交わすことってめちゃくちゃ面倒なことで、ホームページ制作のような大きな規模で言えば、2枚同じ契約書を冊子で作ってハンコを押し合うみたいなとこまでやったりするんです。
そこを「信頼関係」という言葉だけで片付けられたら楽で仕方ないんですが、人ってすごく面倒な生き物で、困った時には自分の都合によって記憶を書き換えたりするんですよね。
こういった意見の相違がないように「あの時双方でこう決めました」という証明として契約書を交わすことは至極真っ当なことではあると思うんですが、どうやら日本(という国レベルで)にはこの文化は存在しないみたいです。
調べたところ、海外(主にアメリカ)は「契約社会」という言葉があるほどに、事細かに全てを決めることが当たり前らしいんですが、冷静になって考えてみれば、僕はこっちの方が真っ当であると思えるような経験をして来ました。
契約書を交わさなかったが故に生まれる人間トラブル。
今でも、ここで名前を出してやっても良いくらいの気持ちでいる「未払い」で自分の正義を貫いているのか、もしくはシンプルに飛んだだけなのか分からない会社がいくつかあるんですよね。
契約書を交わしていなければ、僕がいくらその会社に対してクリエイティブでお仕事をしていたとしても「頼んでいません」と言われたもう終わりなんです。
ちょっと思い返すと腹が立って来たので言いますが、京都のとある焼肉屋(個人経営)から市の補助金を使ってホームページを作ってくれって頼まれた後、最後に「補助金が出た分のお金はこっちの分だ」と言われてブチギレたことがあったんです。
要するに、50万円の制作費が掛かったとして、その中で補助金が20万円市からでたら、その分はうちに返金しろと言われたんですが、それって犯罪ですよね?と言ったところ、音信不通になった後に「もうこの件に関しては関わるな」という警告文が弁護士から届きました。
大切な人との関係を守るための契約書。
そんな感じで、制作をスタートする時は皆さんニコニコとええ格好をしてくる訳なんですが、いざ制作が進んで来た中で予期せぬトラブルが起こったり、意思疎通が上手くいかなかったりした時に契約書がなければやりたい放題なんですよね。
僕はそういう「無駄な時間」を1秒でも過ごしたくなくて、だからこそ契約書って交わしておいたほうが絶対にいいと思うんです。
で、僕はクリエイターとして「感覚」とか「ノリ」みたいな部分で生きてたりするんですが、絶対に断言出来るのは「お金はそれじゃダメ」ってことです。
契約書を交わしていることと、交わしていないことで生まれるのは「不信感」ではなくて、絶対に「責任感」なんですよね。
だからこそ「大切な存在にこそ契約書を」と僕は考えている中で、これから先にお仕事をさせてもらう人にはキッチリと契約書を交わすことを決めました。
契約書を(細かく)交わすということに煩わしさや、その行動によって不信感を抱かれる方はいると思いますが、僕は僕の大切な人との関係を守るために、契約社会を作っていけたらと思います。
一緒に頑張りましょう。
では、また明日。