「失敗を分解する」成功の未来をどこに置くかで今のチャレンジが変わってくる。
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「失敗を分解する」成功の未来をどこに置くかで今のチャレンジが変わってくる。

2024.01.08
2021.01.22

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おはようございます。FOURTEENのコウタです。

京都を拠点にフリーランスデザイナーとして活動しており、毎日休まず続けている、ランニングやブログを通じて感じた「継続は力なり」の大切さを発信したりしています。

京都を拠点に完全独学のフリーランスデザイナーとして活動し6年目。2016年から禁煙をキッカケに始めた毎日ランニングは1,464日、毎日ブログは242日を突破。(2020年12月31日現在)

今日はね、ネガティブでもありポジティブなお話でもあるのですが、久しぶりにね、お仕事でやってはいけないことをやってしまったんですよ。(機械トラブルなんですが…)

僕は完璧主義者な部分があるので、用意周到でめちゃくちゃセッティングに時間を掛けて考えた上で、この失敗を迎えてしまった訳ですね。

だからこそ本当に悔しくて、久しぶりに凹んでしまったんですが、ただもう一方でチャレンジを続けたからこそ失敗があるわけで、これから先に成功を導き出せばそれは成功になると思っています。

ということで今回は、「失敗を分解する成功の未来をどこに置くかで今のチャレンジが変わってくる、というお話をしたいと思います。

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テストはいくらやってもテストでしかない。

自分がいくらテストを繰り返したからといって、それは所詮テストでしかなくて、1回しかやってなかろうが1000回もやってようがテストはテストです。

数をこなしたからといって本番で成功する確証もなければ、反対に少ないテスト数で本番成功する可能性だってある。

結局のところ、テストの回数や精度に関しては、成功確率を上げる作業であって、その目的はほとんど「心理的な安心」を求めるからの作業だと思います。

ここで言いたいことは、テストは所詮テストで経験ではないからこそ、全ては「実践こそが経験である」ということです。

機材トラブルを知ることも1つの成功。

僕は限られた時間の中で、出来る限りのテストを行っていましたが、悔しかな当日起こったことは「機材トラブル」でした。

ここでこの失敗をネガティヴに捉えた時「機材のせい」として全ては終わるかもしれないですが、その機材の限界を知らなかったこと、そこまでの状況を想定していなかったこと、そもそもそのコンテンツの設計の詰めが甘かったことというがポジティブな意見に変わります

そういう風に考えれば「機材トラブルを知ることも1つの大成功」であって、捉え方次第で失敗はネガティヴにもポジティブに変わるということなんです。

そういう選択肢であれば、これは絶対にポジティブに考えるべきだと僕は思っています。

成功の未来をどこに置くかで今のチャレンジが変わってくる。

僕の場合、1つ1つの現場が勝負だとは思っていますが、今はまだ31歳で、そもそも長い目で見た時に(寿命は分からないですが)死ぬまでに「いい人生だった」と思えることが、そもそも人生の成功だと思っています。

そういう風に考えた時に、自分が今やろうとしていることに対して失敗を恐れてチャレンジしないことが1番の失敗で、ここでチャレンジしなかったことに対して死ぬ前に「あの時こうしてれば良かった」と思うことだけは避けたいですよね。

で、ここで1つ考えて欲しいことは、その1つのミスを通じて「取り返しのつかないこと」って人生の中でそうそうないわけです。

芸能人のスキャンダルや犯罪を見ても分かる通り、例え覚せい剤で捕まった人でも更生して戻ってくることなんでしばしばあるわけで、(法に触れない中で)真っ当に生きている上での失敗なんてかすり傷同然なんです。

そういう意味でいえば、僕がチャレンジを続けていて、もしそれで全クライアントとの仕事がぶっ飛んだとしても、またその時はその時で考えれば良いなと思うし、そこで1番怖いのは「自分の芯」が崩れてしまうことなんですよね。

その失敗をキッカケに、チャレンジを恐れて行動出来なくなることが1番の恐怖で、そこを失くさなければ人生は何度でもやり直せると思いますし、そもそも失敗なんてないんじゃないかとも思います。

チャレンジを恐れる全ての人に僕が伝えたいこと。

失敗が何かを分解した時に、成功に繋がるであろう失敗は失敗じゃなくて、誰にだって間違いや過ちはあるし、そこで1番重要なのは自分自身の想いや目的だと思っています。

僕はその想いや目的に対して、例えば「自分だけの利益を考えたもの」としたとしたら、そのチャレンジに対して失敗はあるのかもしれませんが、「自分以外の誰かのため(間接的に自分のためになる)」と考えた時に限っては、そのチャレンジは失敗ではなく、誰かに対して何かを残せる可能性のあるチャレンジになるはずです。(もちろん上手く伝わらないこともあるけど。)

そういう意味で、私利私欲を満たそうとすること以外でのチャレンジに失敗なんてないので、1日、1ヶ月、半年、1年程度響いていくレベルの失敗は長い目で見れば失敗ではなく、10年先や人生全体として見た時には本当に小さな出来事であり、むしろ成功に近づくために必要だった経験であるということなんです。

僕は今回、想定外のことで失敗しましたが、これと同じ過ちをこれからの人生で一度も起こさなければそれは成功に変わるし、万が一似たような失敗を起こしたとしても、人生トータルで見てそのチャレンジに後悔がなければ全ては成功に変わります。

だからこそ、まさに今の状況だけを見て、「失敗したら格好悪い」とか「取り返しが付かない」とか思っている人がいれば、きっとそこでチャレンジをしないことが1番の後悔につながると思うので、絶対に「やらない後悔」を迎えないためにも、そのチャレンジを捨てないでほしいなと思います。

デザイナーになった僕ですが、高校卒業の時期を迎えた僕が、パソコンを触ることが好きなのにも関わらず「コンピューターの専門学校に行きたい」と両親に対して貫き通さなかったことで、技術面で見た時に多くの遠回りをしたと考えるのか、そこでの経験が今の自分に繋がっていると考えるのかと同じように、失敗を成功にするかは自分のこれからの行動次第だと思います。

僕自身もこれからどんなチャレンジが必要になるか想像もつきませんが、自分が保守的になって逃げることで後悔してしまうような状況においては、必ずチャレンジを選びたいと思います。

一緒に頑張りましょう。

では、また明日。

WRITER
KOHTA FUKUI / Freelance Designer
KOHTA FUKUI
Freelance Designer