全てのことに意味があると信じて。
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全てのことに意味があると確信して。

2021.10.05
2021.10.04

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おはようございます。FOURTEENのコウタです。

京都を拠点にフリーランスデザイナーとして活動しており、毎日休まず続けている、ランニングやブログを通じて感じた「継続は力なり」の大切さを発信したりしています。

京都を拠点に完全独学のフリーランスデザイナーとして活動し6年目。2016年から禁煙をキッカケに始めた毎日ランニングは1,464日、毎日ブログは242日を突破。(2020年12月31日現在)

この長い人生を生きていく中で、いろんなシチュエーションがあると思うんですが、その1つ1つの経験に対して『いかにして意味を持たせるか』は自分の匙加減だと思うんです。

言葉としての表現で言えば、その結果として『成功』や『失敗』と表現することはあるとは思うんですが、僕は『その失敗(とか過ちを)を自分が失敗と思った時に失敗になる』と思っています。

ということで今回は、全てのことに意味があると確信して、というお話をしたいと思います。

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僕が言う「死にたい」と言う言葉の裏にあるもの。

僕はよく「いつでも死にたいよ…」と、自分の人生を投げ出すような発言をしてしまいますが、実際のところそれは嘘でもなんでもなくて、それくらい毎日を本気で生きているので、もし自分が明日に交通事故で死んだとしてなんの後悔もありません。

「残された家族やクライアントは?」と言われるかもしれませんが、僕は僕の生き方として、自分の想いを人生に体現し、それをメッセージとして届けているので、僕の命がこの世から消えたところで、僕がこれまでにしてきた行動や伝えてきたメッセージは、人の心から失われない限り消えることはありません。

今でも「あの時自分にこういう言葉をかけてくれたから今がある」と言ってくれる友人もいますし、そんな友人は今も僕の意思を尊重し、応援し続けてくれています。

引きこもりだった半年間を成長に繋げられた理由。

人の人生って今はどれくらいの感覚なんでしょうか?まぁ、ざっくりと80〜100年くらいのものになると思うんですが、僕は今「結構頑張って生きて来たなー!」と思っていても、まだたったの3分の1しか生きていません。

で、これまで生きて来た時間の中で、すごく苦労して、辛くて心が病んでしまって、『引きこもり』になってしまった時期もありました。(19歳の頃に半年くらいの期間ですね)

夜に冷蔵庫をあさる毎日で、家族からはゴキブリだと言われ、日光にも当たらない不健康な血色で、髪の毛はボサボサに伸び、コンビニに買い物に行くくらいしか外に出ることもなく、そんな時も店員さんと目を合わせられない自分の生き様に嫌気がさしていました。

その間は『自問自答』を繰り返していましたが、外の世界をシャットダウンしていた自分にとって『自分が虚像として作り上げた成長』はあっても、事実としてある成長はなかったんですね。

ただ1つ言えることは、その時に感じた苦悩を、自分の解釈として時間のムダだと『後悔』としなかったからこそ、外に抜け出せた瞬間に成長に繋げることが出来たんです。

「後悔」を感じた時にその経験はムダになる。

僕は今、すごく確信を持っていることがあって、僕が『苦労を知っている人』だからこそ出会えた人って沢山いると思うんです。

要するに、僕が魅力を感じる人は皆んな僕と同じように『苦労を知っている人』で、もしもその相手が苦労を知らない人だったとしたら、僕はその人に魅力を感じなかったと思います。そしてそれを言葉として表現するとすれば『類は友を呼ぶ』というんだと思うんですね。

僕は、自分が生きる人生の中で出会うべくして出会った人が周りにいて、僕がに必要ではない人が僕の元から去っていきます。(過去に僕を利用してお金稼ぎをしようとしていた人とか…)

でも、その人の生き方に何かしらの魅力を感じ、その人を心から尊敬している場合に限っては、そういう人の存在っていうのは形を変えども絶対になくならないと思うんです。(実際に僕が生きて来てそんな存在が消えたことは1度もありません)

自分の生き方を信じて、常に本気であること。

そんな出会いを生み、繋がり続けていくには『常に本気であること』が大前提だと思います。

成功も失敗も、『全てのことに意味がある』とするためには、自分自身が全てのことに対して本気であり続ける必要があるんですね。で、その感情が無かったとしたら、きっとそこに費やした時間は確実にムダに終わってしまいます。

冒頭でもお話ししましたが、『その失敗を自分が失敗と思った時に失敗になる』ということは、僕の人生の中での経験には『成功』しかありません

過去の苦労や達成の経験も、出会った人も、全ての行動に対して『その経験をどう生かすか』が、その時間をムダに変えないことにつながると思います。「あの時こうしてれば…」はこれから変えて行ける。素直にそう思えました。

なので僕は、どんな状況下に置かれても『常に本気であること』はこれからも曲げずに続けていきたいと思うし、前例のないこと、経験のないことに対しても、自分の信念を曲げずに、良い意味で『自己中』に生きていきたいと思います。

僕は絶対に、自分と関わってくれた人を笑顔に、そして幸せにし続けるために生きていきます。

一緒に頑張りましょう。

では、また明日。

WRITER
KOHTA FUKUI / Freelance Designer
KOHTA FUKUI
Freelance Designer