家族とは愛すべき、そして注意すべき「異質な存在」だと思った話。
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家族とは愛すべき、そして注意すべき「異質な存在」だと思った話。

2021.12.20
2021.12.20

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おはようございます。FOURTEENのコウタです。

京都を拠点にフリーランスデザイナーとして活動しており、毎日休まず続けている、ランニングやブログを通じて感じた「継続は力なり」の大切さを発信したりしています。

京都を拠点に完全独学のフリーランスデザイナーとして活動し6年目。2016年から禁煙をキッカケに始めた毎日ランニングは1,464日、毎日ブログは242日を突破。(2020年12月31日現在)

幼い頃、テレビゲーム機だけでなく、カードゲームなんかすらも買ってもらえない友達に「お前の家はいつも新しいゲーム買ってもらえて良いよなぁ」って言われたのを思い出しました。

その当時は、僕は(比較的裕福な家庭だったので)それを買ってもらえることが当たり前だと思って生きていたんですね。

ということで今回は、家族とは愛すべき、そして注意すべき「異質な存在」だと思った話、についてお話ししたいと思います。

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自分にとっての家族と、誰かにとっての家族の違い。

僕自身の家族を他人が見た時にどういう風に感じるのかは分かりませんが、きっと「嫌だなぁ」とか「羨ましいなぁ」とか「普通だなぁ」みたいな感じで、人それぞれで意見は分かれてくると思います。

それは人と人の相性の話なので当然のことなんですが、自分の家族のことを客観視することが出来る人って少ないなって思ったんですね。

要するに、自分の子供は可愛いから「他の誰かがやったら全力で怒ることに対して多少許容して怒らなかったりする」みたいなシチュエーションが、大なり小なり生まれたりすると思うんです。

これが「血のつながり」ってものなのか、その要素がそういった「当たり前」を霞ませる部分があったりするのは間違いなく、ここを客観視でフラットに見れてる人って少ないんじゃないでしょうか。そういう感覚がすごく気持ち悪く感じたんですね。

家族とは、注意すべき「異質な存在」である。

そういう風に考えた時に、僕の家族で当たり前のことが、他の家族では当たり前ではなく、これってもう国と国の文化の違いのようなもので、その違いが美しかったりすると思うんですが、一方で、相手の文化を知るってことを日本国内の家族間ではなかなか出来てないと思うんです。

例えば、僕の家族では「スナック菓子は毎日食べる」として、別のある家族で「スナック菓子は体に悪いから食べない」となっているとしたとします。

そうなった時に、僕は「スナック菓子を食べるのが当たり前」となっているわけで、そういう育ち方をしているので「スナック菓子 = 悪」のイメージが一切ないんですね。

なので冒頭でもお話ししたような羨ましさを投げかけられた時に、「何でお前の家はゲーム買ってもらえないの?」って言って、友達を怒らせてしまうようなシチュエーションが生まれてしまうわけなんですね。

そういう意味で言えば、家族とは「注意すべき異質な存在」であると僕は常々思っているんです。要するに、相手の家族の良い部分が、自分の家族の当たり前によってかき消されてないかを判断しないといけないってことなんです。

言葉として家族であって、家族が全てということだけではない。

自分を産んで、育ててくれた両親と言えば、最高の愛がそこに存在するような気持ちになったりすると思うんですが、結局のところ「どれだけ長い(深い)時間を共に過ごしたか」に尽きると思うんですね。

もちろん人間なので、そこには「」とか「」が存在して、その長さ(深さ)の経験によってその思いは強くなっていくと思います。

観葉植物に水をあげて、それがスクスクと育っていく姿を見て可愛いと思うのと同じように、それは人間も同じで、子供が大きく成長していく姿を見るのは素晴らしい経験だし、反対に自分の家族が老いていく姿もまた素晴らしい経験だと思います。

僕は自分が少し変なのかなって考えたこともあったりするですが、「家族だから」とかいう考え方が人より大きく欠損してると思います。(なので親戚とかがやってるサービスがクソだったら何も気にせず他所にお金を払います

そういう家族という当たり前がある中で、やっぱり見落としちゃいけないなって思うのが、それ以外の家族に変わるような存在のことです。

家族が1番というフィルターを外して見る世界。

僕は常々思うのが「家族が1番というフィルターを通してみる世界」ってすごく狭いなって思うんですね。(もちろん大切なことには変わりないんですが)

僕はフリーランスとして活動していて、クライアントさんとも全て対個人でお仕事をしている中で、そこで出会う人達の中にも家族のように接してくれて、自分も家族のように接し返したい人って存在したりするんです。

それはお仕事だけじゃなく、友達なんかでも全く同じで、何だったら家族よりも大切で、命懸けで守りたい友達だっているんですよ。

そういう風に考えた時に、家族って言葉はすごく小さなものに見えてきて、本当に困った時に利害関係なく助けてくれて、どんな状況の時の自分ともフラットに付き合ってくれるような存在ってすごく大切だなって思えたんですね。

家族が大切ってことには変わりないんですが、一方で家族よりも大切なものって僕には存在するので、そういう存在をこれからもしっかりと見極めて、人生をかけて大切にしていきたいと思いました。

一緒に頑張りましょう。

では、また明日。

WRITER
KOHTA FUKUI / Freelance Designer
KOHTA FUKUI
Freelance Designer