信念を持つ寄り道と、それを生きがいにしているのは違う。
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信念を持つ寄り道と、それを生きがいにしているのは違う。

2022.04.04
2022.04.04

おはようございます。FOURTEENのコウタです。

京都を拠点にフリーランスデザイナーとして活動しており、毎日休まず続けている、ランニングやブログを通じて感じた「継続は力なり」の大切さを発信したりしています。

京都を拠点に完全独学のフリーランスデザイナーとして活動し7年目。2016年から禁煙をキッカケに始めた毎日ランニングは1,830日、毎日ブログは610日を突破。(2021年12月31日現在)

人生を生きていれば、どんなに強い人間だって時には心を休めたくなったり、寄り道をしたくなったり、知らず知らずのうちにしていたりすることはあると思います。

ただそれはその人の自由であって、尊重されるべき1つの人権であることだとは思うのですが、人を巻き込むとなればまた話は別です。

ということで今回は、信念を持つ寄り道と、それを生きがいにしているのは違う、というお話をしたいと思います。

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いつまでも「若気の至り」で止まっている人に思うこと。

僕は決して「大人になりたい」なんてことは1ミリも思ったことはありませんし、子供と朝から晩まで外で遊んだり、ゲームしたり、大人としては朝からお酒を飲んでパッパラパー(何その擬音)の愉快なおじさんでいたい瞬間も沢山あります。

ただ、周りの人間を見ていると、ごく稀に「若気の至り」という感覚で成長の形寄り道を繰り返している輩がいたりするのを見かけるんですね。

人それぞれの感覚で生きているので、その人の思いなんかは分からなかったりするんですが、「中身のない人生」を歩んでいる、いわゆる浅い時間を繰り返しているだけで、そこで何の学びもないようなことです。

そういうことって結局最後には何も残らなくて、それまでの時間が全て無駄になってしまって虚無感と後悔しか残らないんですね。ただ、そういう人はそれを繰り返すことが生きがいになっていて、僕はそういう人とは距離を置くようにしています。

自分のためだけに生きる人に感じること。

人には人の正義があって、それを分かり合えないことがもちろんあるとは思うんですが、冒頭でもお話しした通り「人を巻き込む」となれば話は別だと思っています。

自分が誰かと歩んで来た人生の中で、自分のプライドを優先した生き方を貫くためだけに、周りに苦労なんかの不幸を与えてしまったり、それを「仕方のないことだったんだ…」と正当化してただ投げ出すのは違うと思うんですね。

巻き込まれた方はたまったもんじゃなくて、よくあるのは「あの経験があったから強くなれた」という謎の結果論で自分を納得させるような構図だったりします。でも、そんな周りくどい経験って別に無くても幸せだったかもしれないじゃないですか。

自分が歩んで来た人生を肯定化して、それをポジティブな方向に持っていくことは勿論大切だとは思うんですが、巻き込んだなら巻き込んだなりに「最後まで面倒は見ろ」と思うんですね。

20年ぶりに「祖父母」の姿を目撃して。

本当に偶然だったんですが、とある日電車に乗っていたら、家庭の事情で中学生から会ってない父方の祖父母(と思われる人)と遭遇しました。

もう中学生くらいの頃から会話すらしたことがなく、祖父母は昔と雰囲気は一切変わらず「おじいちゃんとおばあちゃんや…」って1発で分かりましたし、当時は「何イチャこいてんねん…」と思ってましたが、今も変わらず仲良く寄り添い手を繋ぎ歩いてた姿には感動しました。

今の自分が置かれてる現状と理想の狭間の中で、感受性が豊かということで終わらされたら少し酷ですが、仕事も時代的にもデジタルな僕にとってこういうアナログな世界は心に響く光景でした。

もちろん「孫に会いたい」という思いがあることは聞いていたりしたので、少しは大きくなれた今の僕として話しかけたい気持ちはあったんですが、この状況を作ったのは僕ではないという葛藤の中で後から見守るだけにとどまりました。

良い大人が自分ひとりのプライドにカッコつけるな。

僕が言いたいことは、良い大人が自分たったひとりのプライドに「カッコつけてんじゃねーよ」ってことで、巻き込んだなら巻き込んだなりに、そこに対して行動する姿勢ってすごく大切だと思うんですね。

もう何年経ってるんだよって思う中で、今もまだ「自分のプライド」に生きている人間は沢山いて、一方は終わったこと、でももう一方はまだこれから背負っていくこととしてあり続けていることがすごく気持ち悪いわけです。

(勝手に背負ってると思われたらそれまでですが)なぜこうも自分だけ背負わされていて、先をいく大人達は自分の余生を楽にするために色んなことから逃げて、頼ってしているのかが本当に謎で仕方ありません。(さっさとそんなプライド捨ててしまえよ)

あんた達の信念はどこに行ったんだよって思うくらい、最初の話に戻りますが、そんな廃れた心を持つくらいなら、僕は子供と朝から晩までハイボールを飲みながら遊びまくれる「クソガキオヤジ」でいたいと思いました。

電車で見かけたけど声をかけれなかった祖父母に、いつか胸を張って「浩太です」って言える日を夢見て、僕は今日も努力を続けようと思います。どうか末長くお元気で。

一緒に頑張りましょう。

では、また明日。

WRITER
KOHTA FUKUI / Freelance Designer
KOHTA FUKUI
Freelance Designer