「死」と隣り合わせで10年以上生きて来た自分に対して今思うこと。
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「死」と隣り合わせで10年以上生きて来た自分に対して今思うこと。

2022.06.02
2022.06.02

おはようございます。FOURTEENのコウタです。

京都を拠点にフリーランスデザイナーとして活動しており、毎日休まず続けている、ランニングやブログを通じて感じた「継続は力なり」の大切さを発信したりしています。

京都を拠点に完全独学のフリーランスデザイナーとして活動し7年目。2016年から禁煙をキッカケに始めた毎日ランニングは1,830日、毎日ブログは610日を突破。(2021年12月31日現在)

こんな不謹慎なことをいうのはあまり良くないとは思うんですが、皆さんは「死」を意識したことはありますか?

僕は19歳の頃に、一度自分を捨てた時から、生きたいから生きるのではなく「生きる意味」を日々探して生きているという人生を過ごしています。

ということで今回は、「死」と隣り合わせで10年以上生きて来た自分に対して今思うこと、についてお話ししたいと思います。

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昨今の「自殺」の増加について思うこと。

新型コロナウイルスの流行で、ニュースでも死者数が日々可視化され恐怖を煽られやすくなった昨今ですが、その報道の裏にいつもあるのは「悪性新生物による死者よりも自殺者が多い」ということです。

年代にもよるのですが、20代〜40代の(5歳区切りでの)死亡理由の1位は「自殺」で、死亡者全体の約4〜5割を占めています。(ちなみに40~50代では2位になっています)

20代〜40代ので死亡した人の半分が自殺による死亡ということで、僕自身、ニュースで自殺の報道を見るたびに他人事ではないように感じる瞬間を経験しています。

ニュース記事の最後に「いのちの電話相談」のような情報が載っている度に僕の心はなぜかゾワっとするし、行動には移せないにせよ、同じような気持ちを持っている人も少なくはないんじゃないでしょうか。

僕は「生」にしがみついたことはない。

冒頭でもお話ししましたが、僕は19歳の頃に一度自分を捨てて、そこから「人の笑顔のために」というテーマを掲げ、それを生き甲斐としてこれまでの人生を歩んで来ました。

それが僕の生きる意味であり、それが無くなれば僕に存在価値はないと思っているので、泳ぎ続けていないと死んでしまうマグロのように「笑顔を生み続ける」という行動を繰り返し続けて生きています。

そんな僕は、少し冷めた言い方になるかも知れませんが、明日死んでも良いと思って生きていて、二度と目を覚さなければいいのになんてことを考えて就寝することもあれば、それこそ今日を生きることで精一杯なんです。

これは鬱的な何かが関係しているのかは分かりませんが、むしろ「いっそ消えてしまいたい」と思った経験が何度もあるくらい、僕は「ただ生きること」にホントに興味のない生きる目的が必要な人間なんです。

知人が発信していたSNSを見て感じたこと。

先日も発信しましたが、(鬱を患っている)知人がSNSで「人は簡単にしにます」といった発言をしていたんですが、僕はまさにその通りだと思っています。

自殺者の数字を見た時にそれは納得以外のなんでもないし、だからこそ僕は「浅い価値観で正義を振りかざして来る人」へ伝えたいことがあるんですね。

「鬱をナメるな」と…。

メンタルの強弱なんてものは人によって違うし、1つ1つの悩みだってその人にしか分からない感覚があるし、例えばそこで道を踏み外した行動をしてしまった人がいたとしても、それは「生き残るため」だったかも知れない。

「餓死寸前だったからやむ負えず万引きした」という人を責め続ける言葉を投げかけるような人間がいるからこそ、多くの若者は「死」を選ぶしかない状況が生まれると思うんです。

僕自身は、毎日ランニングをしたり、毎日ブログを書いたりしながらメンタルを保てるように努力していますが、それは僕が強いからではなく、弱いからこそ続けていることな訳なんです。(だから絶対に勘違いするなよ)

社会不適合者の僕が感じる「社会」とは。

僕は自分自身を「社会不適合者」だと思っていますが、正直こんな社会に適合することが正しいことだと思ったことは1ミリもありません。

「独学でフリーランスデザイナーになる」と宣言した8〜10年前の僕の目の前には「フリーランス = 社会不適合者」のような風潮は確かにありましたし、「そんなことは絶対に無理だ」「絶対に成立しない」「夢見心地もいい加減にしろ」といった言葉を何度も聞かされました。

僕は19歳の頃に自分を捨てたからこそ、「人を笑顔にする生き方をしたい」という漠然としたテーマを持って、独学でフリーランスデザイナーになるという無謀な夢を追い続けることが出来ました。

そんな生き様を貫いて来た人間の心情を、保守的に生きている人達には到底分かってもらえないと分かっているので、そこに未経験者が自論で介入することは無責任に自殺を促す行為になり得ると僕は感じています。

僕は反対に「生」にしがみつくことがないからこそ、全ての人と同じ目線で立ち続けることが出来ると思うし、だからこそ全力のお節介を発動して、人の人生まで背負おうと決意出来るんだと思います。

「中途半端な正義は一番の悪」

僕は仕事もプライベートも、そんな想いを持って生きているからこそ、心に届く言霊のようなメッセージを(声として作品として)伝え続けることが出来るんだと思います。

一緒に頑張りましょう。

では、また明日。

WRITER
KOHTA FUKUI / Freelance Designer
KOHTA FUKUI
Freelance Designer