「復讐心」をエネルギーに変えて生きて来た人生に対して今思うこと。
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「復讐心」をエネルギーに変えて生きて来た人生に対して今思うこと。

2021.11.13
2021.11.13

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おはようございます。FOURTEENのコウタです。

京都を拠点にフリーランスデザイナーとして活動しており、毎日休まず続けている、ランニングやブログを通じて感じた「継続は力なり」の大切さを発信したりしています。

京都を拠点に完全独学のフリーランスデザイナーとして活動し6年目。2016年から禁煙をキッカケに始めた毎日ランニングは1,464日、毎日ブログは242日を突破。(2020年12月31日現在)

最近すごく思うんです。僕自身がすごく『我慢』をして生きてきた人間だったんだなって。

自分のしたいこと、欲しいもの、そんなもの全てを『必要ないもの』と思い込んでいただけじゃなくて、さらには人の人生までも自分のことのように背負って生きて来たんだと強く感じるようになりました。

ということで今回は、「復讐心」をエネルギーに変えて生きて来た人生に対して今思うこと、についてお話ししたいと思います。

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僕はブレてない、ブレたのはお前らだ。

人ってつくづく都合の良い生き物だと思うんです。家族にしても、極限状態においては『自分の言うことを聞く人間が可愛い』という思考を出して、父親にも母親にもそれぞれ1度以上捨てられた経験が僕にはあります。

僕の弟も含めて、一度はきっと僕含め家族に対してゼロに近いレベルで信頼を消失した経験があると思います。でも家族だから、何やかんや捨てられないんですよ『血のつながり』ってやつは。

僕は19歳の頃に1度は自分自身の人格を殺していて、新しい自分として生まれ変わりました。

僕が生きる理由はその頃から『人を笑顔にすること』に変わり、自分の幸せを第一に考える人生に終わりを告げ、自分自身の一切の願望や贅沢を捨てて質素にこれまでの人生を歩んで来ました。

自分に自信のない人間は無言には耐えられない。

僕はね、自分に自信があるし、自分自身の人生を捨て生きているからこそ、甘えとか必要ないんですよ。

自分で言うのもなんですが、全て一人でこなして生きていけるからこそ、場合によっては冷酷な選択をすることも出来るし、僕以外の人間に対して(お仕事以外で)興味をゼロにしろと言われれば明日から全然可能だったりします。

それがたとえ自分自身の家族であろうが、僕はこれまで生きて来た人生の中で、自分が受けたことに対する『』はもう十分に返したと思いますし、それを帳消しにするくらいの『苦労』も受けてきたと思っています。

で、総じて自分に自信のない奴って『無言には耐えられない』ってことなんですよ。

自分に少しでも後めたい気持ちがあったり、圧倒的に(勝つことの出来ない)自信の前に、その空間に圧倒されないように自分を律するために音が必要なんですね。

見れば分かります。僕の前で目を合わせられない人間や、音楽を流す人間、鼻歌を歌い出す人間、独り言が極端に増える人間、今までそういう人間に対してリスペクトを抱くことなんて立ったの1度もありませんでした。

偉そうに言うけど、あなたは何を捨てられる?

僕はね、自分でなんでも出来るんですよ。炊事、掃除、洗濯、仕事、お金のことまでなんでも、自分自身が積み上げて来た人脈まで全て使って、正直もう出来ないことなんて1つもないんです。

そうなって来た時の基準って『あなたは僕のために何を捨てられる?』ってことだけだなって感じたんですね。

だって僕が「してほしい」って求めることなんて1つも無いし、僕自身はなんだって捨てられるなってステージに来たなって感じたんです。(もちろん沢山の努力をして来ました)

僕は今『助けたい人(笑顔にしたい人)』を基準に生きているし、家族であろうが、友人であろうが、そんな名ばかりのことには一切の興味はないし、それは19歳の頃に1度人格を捨てた時から変わりません。

で、僕にとって『助けたい(笑顔にしたい)』という気持ちが消えた時、それは僕自身が死ぬ時だと思っています。

「復讐心」をエネルギーに変えて生きて来た人生。

最初はかなりバカにされたんですよ。『人を笑顔にする』って人生をなんらかの形として(生きるために)仕事にしたいと言った時に、「そんなこと出来るわけないやん」って言われ続けて僕は生きて来ました。

僕を突き動かすことのほとんどは、最初はそんな人間への『復讐心』だったんですね。(じゃないと僕自身は枯れ果ててしまいそうになっていたので)

そういう螺旋で生きて来た僕にとって『甘え』とかすごく腹が立つんですね。

「ずっと何かに守られたやん」って思う人間に指図されたり、(理解出来ない)意見をされたりする度にやっぱり、歳を重ねて丸くなって隠していた『復讐心』ってのが改めて煮えたぎって来たわけですね。

そういう意味で、良くも悪くもまた「お前ら見とけよ」って若い頃の気持ちが沸々と煮えたぎって来ることを久しぶりに感じました。

僕はまだ32歳、僕の人生ってまだまだ長いなって思うし、「出る杭は打たれる」じゃないですが、誰かに合わせて生きていく人生なんかよりも「一人でも多くの人を笑顔にしたい」という初心に向かって改めて命を燃やしたいと思いました。

一緒に頑張りましょう。

では、また明日。

WRITER
KOHTA FUKUI / Freelance Designer
KOHTA FUKUI
Freelance Designer