「心の病気」を感じて僕が初めて心療内科に行って感じたこと。
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「心の病気」を感じて僕が初めて心療内科に行って感じたこと。

2021.11.09
2021.11.09

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おはようございます。FOURTEENのコウタです。

京都を拠点にフリーランスデザイナーとして活動しており、毎日休まず続けている、ランニングやブログを通じて感じた「継続は力なり」の大切さを発信したりしています。

京都を拠点に完全独学のフリーランスデザイナーとして活動し6年目。2016年から禁煙をキッカケに始めた毎日ランニングは1,464日、毎日ブログは242日を突破。(2020年12月31日現在)

最近、浮き沈みが結構激しいんですが、自分でも立っている(活動している)だけでやっとなほどメンタルがキツい状況が続いています。

シンプルに『お酒が増える』とか『睡眠が浅い(毎日のように夢を見る)』という症状が出ていて、ちょっと生活に支障をきたすレベルになっていたので、これは良くないなと思って行動することにしました。

ということで今回は、「心の病気」を感じて僕が初めて心療内科に行って感じたこと、についてお話ししたいと思います。

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やっぱり「鬱」はあってないようなものだった。

僕、普段から『人の相談』には良く乗るタイプで、自分で言うのもなんなんですが、『問題解決能力』は高めだと思ってるんですね。そんな僕でもメンタルは強い方じゃないので、心が疲弊している状態だと、どうしても冷静な判断が出来ない状態になるんですね。

最近は色んなことが重なって、ちょっとこれは流石に『心の病気』じゃないかと感じてしまって、こういう症状への行動は早い方が良いと思った(聞いていた)ので初めて心療内科に行ってみることにしました。

一通りの診察を終えて感じたことは、内科で診断されるような「インフルエンザ」のような確定要素はないということでした。

心(メンタル)の問題なので、基本的には先生のヒアリングによる判断次第で、いくら自分のバックグラウンドを話したところで、この長い人生の中で感じた自分の苦労なんかを数値化出来る基準なんてないわけなんですね。

あとは個々でメンタルの強さや、改善に対して取り組んでいる行動(僕であればランニングやブログなんか)が違うので、やっぱり』というものはあってないようなものだったということですね。要は「人それぞれ」って感じですね。

ただ「カウンセリングが必要です」と言われて、来週から通院することが決まったんですが、診断書」を書いてもらうことでメリットがある人もいるので、そういう人はここで『鬱病』として診断書を書いてもらうんだと思いました。(ちなみに僕は診断書は「不要」と言いました)

診察室は重苦しい雰囲気だった。

「歯医者」や「内科」なんかと違って、待合室は(想像以上に混んでいて)重苦しい独特の雰囲気があって、やっぱりこのコロナ禍で心が疲弊してしまっている人が多いんだなと感じました。(僕も初診予約をするのに1週間以上待ちました)

診察を終えて僕が感じたことは、きっと目に見えない数値(経験)を個々が持っているような『心の病』において、きっと投薬治療を含めて正解なんてないと思ったし、僕自身がそういうメンタル的な問題を抱えている上で「僕が全員を守ってやりたい」という謎の使命感を感じました。

僕はこの日は明らかに、メンタルの浮き沈みでいう「浮き」の状態で、クライアントさんからの『ありがとう』を沢山もらえたり、お仕事ですごく充実感を感じていた日だったんですね。

きっとここにいる多くの人は、心を浮かせる要素を見つけられなくてもがいていて、いくらここで先生に話を聞いてもらっても、根本的な部分を変えないことには何も変わらないんだと思いました。(実際にそれは僕も感じました)

やっぱり人生において、何か充実している瞬間や場所って必要だと思ったし、それがどんな形であれ、日々感じることが出来るのであれば、どんな人でもきっと前向きに生きていけるんだと思ったんですね。

自分がそうしてメンタルを保っているからこそ、この人たちを守ってあげられることも出来るんだと(実際にはやらないにせよ)感じることが出来ました。

この世界には色んな「孤独」がある。

そんな病院の帰り道は、日課のランニングで家に戻っていました。(ちなみに行きは電車でした)

ランニング中は色んなことを考えるんですが、この日、僕の目に写った「腰の曲がったおばあさんが下を向いてカートを引きながら、スーパーの袋を重たそうに持っている光景」や「足が悪いおじさんが杖をついて一歩一歩ゆっくり進んでる姿」はいつもより強く色んなことを考えさせられました。

僕きっと『家族だから』とか、そういう境界線がないんです

こんな金髪の輩みたいな奴が突然話しかけたら怪しまれるかもしれないけど、「荷物を家までお持ちましょうか?」とか、例えそれが嘘でも「タクシーで家まで帰るんでご一緒にどうですか?」とか、ありがた迷惑だと分かってても声をかけたくなるんですね。

僕自身、ずーっと孤独を経験していて、過去に経験した孤独や、その痛みを知ってるからこそ、なんだか寄り添いたくなるというか、表現は難しいんですが(自分の心を溶かすように)温め合いたくなるというか、思わずボーッと見つめてしまうんですね。

楽しいことに目がいきやすいこの世界の中で、それと同じかそれ以上に、贅沢をしたり、自己主張したりしない僕にとって、世界には色んな『孤独』があると感じ、その孤独と向き合うことの大切さを感じました。

やりたいことをやりたいままに、制限なく生きていきたい。

やっぱり『自己犠牲』で生きてる人間にとって、孤独ってその人から滲み出るオーラのようなものが言葉のように見えて伝わって来るんですね。で、そういう人ってちょっと話せば分かるんです。

今回僕は、心療内科に行って先生と話、来週からカウンセリングを行うことが決まりましたが、これは僕の中で1つの『人生経験』だと思っています。ないじゃないですか。なかなか心療内科にかかる経験なんて。

でも、僕が人生テーマとして掲げている『人を笑顔にしたい』っていう19歳からのブレない思いを、やっぱりこれから先の人生でぶれさせたくないんですね。(じゃないと生きてる意味がないので)

そんな時に、1人を幸せにするということが重荷になって、100人を幸せに出来ないとなるなら僕は、自分や家族だけの狭い幸せなんて必要ないなと改めて思いました。

そのためにはやっぱり、自分が自由である必要があるし、そこに世間の当たり前なんて関係ない。だって当たり前じゃないことをしようとしてるから。

そう考えた時に、「やりたいことをやりたいままに生きていきたい」と思いました。

来週からカウンセリングが始まるんですが、自分自身としっかり向き合っていきたいと思いました。どんなカウンセラーの方がついてくださるのか楽しみです。

一緒に頑張りましょう。

では、また明日。

WRITER
KOHTA FUKUI / Freelance Designer
KOHTA FUKUI
Freelance Designer