自分の「やりたいこと」を「やりたくないこと」だと変換して生きてきた人生に思うこと。
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自分の「やりたいこと」を「やりたくないこと」だと変換して生きてきた人生に思うこと。

2021.11.20
2021.11.20

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おはようございます。FOURTEENのコウタです。

京都を拠点にフリーランスデザイナーとして活動しており、毎日休まず続けている、ランニングやブログを通じて感じた「継続は力なり」の大切さを発信したりしています。

京都を拠点に完全独学のフリーランスデザイナーとして活動し6年目。2016年から禁煙をキッカケに始めた毎日ランニングは1,464日、毎日ブログは242日を突破。(2020年12月31日現在)

ほとんどの人が経験している、10代後半から20代前半にかけての学生生活や、一人暮らし、アルバイトをして自分が欲しいものを買ったりなどを経験したことがありません。

経験していないというだけでなく、僕にはもっと強い制限があって、僕が生きてきた人生の32年の中で『自分のための自由』は一切ありませんでした。

ということで今回は、自分の「やりたいこと」を「やりたくないこと」だと変換して生きてきた人生に思うこと、についてお話ししたいと思います。

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自分に「やりたいこと」が元々なかった訳ではなかった。

僕は中学生の頃から自宅には「自分の部屋」を作ってもらっていて、家具を並び替えたりちか、自分の好きなものを並べたりすることが好きでした。

あまりお金を持ってはいませんでしたが、自分でアルバイトしてもらったお金で服を買ったり、カラオケに行ったり、ほんの1年くらいだけ僕にもそういう時期があったんですね。(その当時に買った服を今も着ています)

ただ、高校を卒業し、大学に進学して、家庭の事情で家が無くなった19歳頃にそういう人生は終わって、そこから貧乏を経験して家は小さくなり、基本的に家族と雑魚寝の生活が始まり、僕のプライベートはなくなりました。

で、環境がそうさせた部分はあるんですが、昔好きだったことを、今は好きだとは思わないようにするという、「やりたいこと」を「やりたくないこと」だと思い込む人生が、思えばそこから始まっていたんですね

心のどこかにしまってた感情。

本当はやりたいことがあるけど言い出せないって、貧乏を経験した(特に)子供心に根付きやすい感情だと僕は思っていて、求めたって手に入らないなら求めることを諦めようというより、考えるのが辛いから忘れてしまおうという思考になると思います。

僕には弟が2人いるんですが、その弟2人ともに贅沢を一切せず、自分の欲しいものを買わないような性格に育っています。(でも昔はそうじゃなかったんです)

で、結局みんな心のどこかにあるんだと思うんですよ。大体の人は「食べたいもの」「行きたい場所」なんて簡単なことであれば即行動に移せると思うんですけど、僕はそういうことすらやらなかったし、(やりたくても)出来なかったんですね。

結局そういうことを言うと「そういう経験があったから今があるんや」って、同じような経験をしたこともない人間にあやされて終わるんですが、正直なところ、そんなことで消せるほどの思い出ではないんですね。

やっぱり人間、心の中にしまっている「やりたいこと」を「やりたくないこと」にして自分を殺すことって、その時はかなり惨めで辛いことなんですよね。

「何のための我慢なんだろう?」と感じた瞬間。

少し前までは、僕の中にその『我慢する理由』みたいなものがあったような気がして、ある時からそれがパンと弾けたような気がして、その瞬間、これまで「やりたくないこと」だと思い込んでいたことに対して「何のための我慢なんだろう?」って思うようになったんです。

例えば僕は、高校を卒業するまで(厳密に言えば大学1回生まで)サッカーをやっていましたが、「全国大会に出場する」という目標を掲げていた中で、最後の大会が終わった時に次の日からサッカーをする意味がなくなるような感じとすごく似ています。

そんな風に、以前にも発信しましたが「クオーターライフクライシス」という言葉がピッタリ当てはまる様に、僕は今もの凄い虚無感と戦っているんです。

蓋を開けてみれば「やりたいこと」ばかりだった。

そんな中、自分が「やりたくないこと」だと思い込んでいたことを、新しい自分と出会うために、今度はそれを「やりたいこと」だと思い込んでみようと思う様にしてみたんですね。

それが「初めてキャンプへ行ってみたこと」や「初めて格闘技を現地観戦してみたこと」なんかだったりするんです。僕を知ってくれてる人は分かると思うんですが、こういうことホントに僕やらない人間なんです。

色んな人から「色々楽しんでて良いなぁ」と言われたりする一方で、僕のホントの理解者の人からは「どうした?」って違和感を感じて連絡をくれたりするんですね。「お前そんなんする奴ちゃうやん」って感じで。

そういう新しい経験をしていく中で、「やりたくないこと」だと思い込んでいたものの中には、実は「やりたいこと」は沢山転がっていて、蓋を開けてみれば「やりたいこと」ばかりだったんだなって思える様になりました

自分がやりたくないと思い込んでいることで、人生が窮屈に感じることは違うと思うし、一度きりの人生で、そんな選択を1つでも減らせるように自分と向き合っていきたいと思いました。

一緒に頑張りましょう。

では、また明日。

WRITER
KOHTA FUKUI / Freelance Designer
KOHTA FUKUI
Freelance Designer