20年の時を動かしたことで動き始めていた10年という時の流れ。
おはようございます。FOURTEENのコウタです。
京都を拠点にフリーランスデザイナーとして活動しており、毎日休まず続けている、ランニングやブログを通じて感じた「継続は力なり」の大切さを発信したりしています。
京都を拠点に完全独学のフリーランスデザイナーとして活動し7年目。2016年から禁煙をキッカケに始めた毎日ランニングは1,830日、毎日ブログは610日を突破。(2021年12月31日現在)
僕がなぜ、あの時あの場所にいたのか、そのタイミングでなぜあの光景を見たのか、そしてどうして僕はその行動を取ったのかは、ただ「運命」としか言い表せません。
約20年、自分の心の中でモヤモヤと消化し切れていなかった思いがその行動によって動き出したのと同時に、少しずつもう1つの約10年の時も動き出していたようです。
ということで今回は、20年の時を動かしたことで動き始めた10年という時の流れ、というお話をしたいと思います。
Index
路頭に迷った僕があの日に起こしたなけなしのアクション。
一言に「病む」というと、僕はここ数年、いや何だったら19歳の頃からずっと心のどこかで暗闇を抱えて生きているんだと思います。
その暗闇が僕の心を侵食するタイミングは決して少なくはなく、特にここ数年はほぼ暗闇に覆われたような状態で立ち続けていて、いつ崩れ落ちてもおかしくない状態でした。
そんな究極のグレーを経験している真っ只中の時に、僕は約20年の間ずっと家庭の事情で会えていなかった祖父母の老いた背中を駅で見かけ、そこで長い長い時間を感じ
絶対に会わないというか、普通に生きてれば絶対に行かない場所で出会ったその光景に、僕は自分が元気だということを伝えたくて、後日祖父母の家のポストにメモと少しばかりのお金を包んで投函しました。
20年の時を動かしたことで動き始めていた10年。
そしてその20年の時を動かしたことによって、その原因でもあった存在との時間も動き出していたことを僕はその時は気付きもしていませんでした。
祖父母に生きる希望を与えたくて僕が起こしたアクションによって、祖父母から「夢のようだ」とお礼の連絡をもらえたキッカケを作ってくれた方が、その10年を動かすことの出来る存在だった訳ですね。
そんな時に起こった出来事で、僕は自分から祖父母とキッカケを作ってくださった人に対して連絡を取ることになりました。
その連絡がどういうことを意味しているのか、その時の僕の心境的にも必死で、冷静に考えることが出来なかったんですが、その連絡によって僕の10年が動き始めました。
約10年間会っていなかった父親との再会。
とある出来事が起こった時に、僕はその目の前のことに必死で一生懸命に自分自身を律しながらも、周りの人間を支えるために尽力していました。
必死に周囲の方のサポートをやっている中で、ふとある場所に戻った時に母親から「あなたのお父さんが来てるよ」と言われたんですね。
僕は自分の父親のことを最近は「オヤジ」とか「おっさん」と言葉にするようになっていたので、一瞬「お父さんって何?」と思ったんですが、その後すぐに目の前に現れたのは僕の父親でした。
昔からたったの1度も人に頭を下げたことを見たことのない、クソみたいにプライドの高い親父が、僕に第一声「浩太か。いつもすまんな。」と頭を下げて来ました。
吊し上げられた状態での我慢に耐え抜いた10年間。
助ける助けるとは言えど僕の体感では、正直この10年間のうちにこの件に関して僕の心を楽にしてくれる存在はたったの1人もいませんでした。
かなりデリケートな内容に、そもそも友人・知人は介入出来なかった問題なのかもしれませんが、僕はただただ今の場所で一生懸命立ち続け、吊し上げられた状態で我慢に耐え抜くしかない10年間だったんです。
辛かったし、腹が立ったし、さっさと消えてしまえとも思っていたし、どれだけの足枷を僕が引きずって生きて来たかは想像することは出来ないと思います。
ただ僕は父親から頭を下げられた瞬間、そんな苛立ちを噛み殺し「あんたも守れるように頑張ってるよ」って、絞り出すように答えたんです。
自分が強くなったのか、優し過ぎるのかは分からないんですが、親が子にしてあげられることと同じように、子が親にしてあげられることの中で、僕は痛みに耐え抜いた解放感を少しだけ感じることが出来ました。
あの辛かった時間は戻ってこないし、自分の身を削る思いは何度も何度もして悔しかったけれど、耐え抜いて良かったと思う10年間になりました。
一緒に頑張りましょう。
では、また明日。