「生きたい」と思って生きている人ばかりじゃないという事実。
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「生きたい」と思って生きている人ばかりじゃないという事実。

2021.10.12
2021.10.12

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おはようございます。FOURTEENのコウタです。

京都を拠点にフリーランスデザイナーとして活動しており、毎日休まず続けている、ランニングやブログを通じて感じた「継続は力なり」の大切さを発信したりしています。

京都を拠点に完全独学のフリーランスデザイナーとして活動し6年目。2016年から禁煙をキッカケに始めた毎日ランニングは1,464日、毎日ブログは242日を突破。(2020年12月31日現在)

何だか最近は『病みブログ』みたいな内容が多くて「お前大丈夫か?」と思われるかもしれませんが、全然大丈夫です。これは元々、僕が当たり前の思考として持っていることです。

で、ホントはこういうことを言っちゃいけないのかもしれませんが、僕は以前にも発信したように『痛みを伴わない人生のリセットボタン』があれば速攻で押したいと思って生きています。

ということで今回は、「生きたい」と思って生きている人ばかりじゃないという事実、についてお話ししたいと思います。

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僕の人生ってすごく「充実」しています。

僕の人生は、家族のことや、貧乏、今の環境や、仕事の状況を掴むまでにそれなりに苦労してきて、そこで得た出会いや、喜怒哀楽全てを幸せに変換することが出来て、すごく「充実」していると思います。

お仕事をしていて、毎日のように「福井さん!福井さん!」と慕ってくださる方々も沢山いらっしゃいますし、仕事仲間だけでなく、友人からの信頼(というよりリスペクトしてもらっている部分)も多いと思います。

そこには『継続の虫』と呼ばれる所以でもある、『地味な努力の継続』があって、それが今の立場や信頼に繋がっていると思うんですね。

なので僕は、これまで本気で走り抜いてきた人生に充実感を持っているし、そこにはなんの後悔もありません。が、その一方で「明日も生きたい!」という願望もありません。

きっとこれは「鬱」なんだろうと思うしかない。

で、現代病でもあるメンタルヘルスの中に『』っていうのがあると思うんですが、これって僕が小さい頃には存在しなかった(というか認めれていなかった症状)だと思うんですが、今になってすごく大きな問題として取り上げられていますよね。

ただこれって、みんなが「美味しいものを食べたい!」とか「良い車に乗りたい!」って思う感覚と同じように、「別に長く生きたくない!」っていうのも1つのポジティブな意見だとも思うんです。

でも、やっぱりそこには『命の重み』があって、それを発言したり、実際に行動してしまったりすることは、良くないとされていて、僕自身もそれを実際に試みることは、絶対に絶対にやめて欲しいと思っています。

あくまで思考の話なんですが、例えば「死にたい」という意見が、メンタルヘルスの中で『鬱の症状』とされるのであれば、「あぁ自分はきっと鬱なんだろう…」と思うしかないということですね。

「死にたい」というよりは「生きたい」と思ってない。

で、僕の感覚なんですが、自分の好きなこと(好きな仕事とか)を毎日していて、鬱と言われたこともあって毎日健康維持のためにランニングを始めたりするようになり、そんな中で充実を感じて生活しています。

冷静になって考えた時に、きっと皆さんも、お腹がいっぱいになったら「もう食べれない!」となると思うんですが、そこで感じる『満腹感』によって、「また食べたい!」となるのか「もう食べたくない!」となるのかの違いでもあると思うんです。

ただこの世の中の定義としては、「生きたい = 良いこと」で「死にたい = 悪いこと」になっていて、そこの『満腹感』で「人生やりきった!」とは思ってはいけないということなんです。

目的を達成したら、また目的を探さないといけない。

人生ってそこんとこホント難しくて、ゴールはその人の『生涯の死』でしかなくて、目的を達成したら、またその次に生きるための目的(意味とか)を探さないといけないわけですね。

誰だって『何かを成し遂げた時』ってあって、それと同時に『目的を失う瞬間』ってあるじゃないですか、でも全員が全員その先を見つけることなんて出来なくて、そこで燃え尽きてしまうことだってあるんですね。

で、そうなって来た時に僕のように『生きるために生きる意味を探す』って感覚になって、その一方で『死を選ぶのは禁止』みたいな、というか絶対にしてはいけないことになってるんですよね。(事実上1択しかないんです

そんなことから僕は、すごく悲しい話かもしれませんが、無理に「生きたい!」とは思っていなくて、別に明日の朝もしも自分がポックリ逝ってたら「まぁそれは仕方ないか」みたいな感覚で生きてたりします。

「生きたい」という願望はないけど、「死にたい」という願望もない、けど選べるのは『生きる』という選択肢だけで、そもそも痛いのと人に迷惑をかけるは絶対に嫌なので、自ら死を選ぶということはしませんが、ふと嫌なことがたて続きに起きてしまった時なんかは「なんで生きてるんだろ…」って思うこともあります。

僕がそんな話をして、これまで「分かるよー!」って言ってくれた人は、正直たったの1人でしたが、話を聞いてみれば、その人も自分と同じような苦労や苦悩を長い期間抱えて生きて来た人でした。

今回の発信で僕が伝えたいことは、夢や希望がない状況で鬱になったりしても、周りからはきっと「何か意味があるから生きてるんだ!」とか「死にたいなんか言うな!」とか言われたりすると思うんですが、そういうことを言う人ってきっと『生きる目的を持っている人』なので、大したアドバイスはもらえないことが多いです。

そんなことよりも、少しでも心をリラックス出来るように、その瞬間に『自分のしたいこと』を気の向くまま、赴くままにやってみてください。そこでは全部捨てたって良い。今ある環境に必ずしも答えがあるとは限らないと僕は思います。

一緒に頑張りましょう。

では、また明日。

WRITER
KOHTA FUKUI / Freelance Designer
KOHTA FUKUI
Freelance Designer