あの日ポストに入れた封筒によって20年ぶりの会話が生まれた奇跡。
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あの日ポストに入れた封筒によって20年ぶりの会話が生まれた奇跡。

2022.08.01
2022.08.01

おはようございます。FOURTEENのコウタです。

京都を拠点にフリーランスデザイナーとして活動しており、毎日休まず続けている、ランニングやブログを通じて感じた「継続は力なり」の大切さを発信したりしています。

京都を拠点に完全独学のフリーランスデザイナーとして活動し7年目。2016年から禁煙をキッカケに始めた毎日ランニングは1,830日、毎日ブログは610日を突破。(2021年12月31日現在)

あの当時の僕の心はどこか寂しく、投げ出したいけど投げ出せないというモヤモヤ感を持って必死に生きていたんだと思います。

そんなフラフラとしたどうしようもない時期の中で、半ば投げやりに「懐かしい場所」を巡り放浪していた僕はとある封筒をとある場所に入れていたんです。

ということで今回は、あの日ポストに入れた封筒によって20年ぶりの会話が生まれた奇跡、についてお話ししたいと思います。

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自暴自棄になって生きていたあの頃の僕が取った行動。

冒頭でもお話ししたとある封筒とは、家庭の事情で20年以上会ってもいなかった祖父母の家のポストへ「僕は元気にしてます」というメッセージを書いた封筒を投函したもののことでした。

そんなフラフラと途方に暮れていた時期に「投げやりな僕のノリで出来る良いことは何だろう?」と考えた挙句、導き出された答えが今回の行動だったということでした。

というのも、その行動を起こす数ヶ月前に、僕が電車に乗っていた時にとある駅で2人組が電車に乗って来て、20年も会っていないのにも関わらずそれが自分の祖父母だと一瞬で気付いたことがありました。

元気で強かった祖父がヨロヨロと歩く姿、それを支える祖母の姿を目の当たりにして、その時に感じた「こんなに時間が経ったんだ…」という哀愁が、潜在的な感情として今回の行動に導いたんだと思います。

数ヶ月後に来たとある連絡。

周りの人からすれば「良いことをしたな」となるかもしれませんが、僕の中ではフラついた状況で取った行動あり、家庭の事情が色々あると考えた上で言えば「黒歴史」だったと思っていたし、そういう意味で心の中にしまっておこうと思っていたことでした。

そんなことも少しずつ意識せずに生きれるようになっていたある日、とある1本の連絡があって母親から「義祖父母のところに行った?」と聞かれたんです。

僕は少し申し訳ない感じで「行ったけど?」と言うと、どうやら共通の知人から、あれが本当に孫からのものであれば直接お礼を言いたいということを、祖母からお願いされたということを伝えるための連絡だったみたいなんですね。

20年ぶりの出来事に「夢のようだ」と祖母は泣き続けていたらしく、その封筒は今も神棚に飾ってあることを伝えられ、僕はあのフラついた時期にした行動が未来につながるものだったんだと少し救われた気持ちになりました。

20年ぶりの祖母との電話。

その後すぐ「直接お礼を言いたいから電話をしても良いか?」と言われた僕は、「僕でよければぜひ」と快く電話での会話を承諾しました。

というのも、お仕事や知人の都合で祖父母らの年代の方々と携わることがここ最近多く、そんな人達の姿を見ていた時にこういったことが「生きる活力」になるということを感じていたからですね。

20年ぶりに聞いた祖母の声は、正直「懐かしい」という表現ではなく、どこか「初めまして」といった感じの感覚になってしまっていて、僕自身も敬語で喋ってしまうような感じですごくぎこちない状態だったことを覚えています。

祖母からの「覚えてくれていたんだ…」という言葉に対して僕は、「周りのおじいちゃんおばあちゃんを見たり接したりする度に、自分にも祖父母がいるということを思い出さないことはないよ」と伝えました。

話を聞けば、祖父はもう僕を認識することが出来ない状況になっているようでしたが、そんな介護で疲れている祖母に対して、僕は生きる希望を一瞬でも与えられたのかと思うと、自分の存在を世界に認めてもらえた気がしました。

「全ての出会いや行動には意味がある」の答えが少し分かった気がした日。

僕がなぜ、その時、その様な状態で、その場所にいたのかということを考えると、普通に生きていれば絶対にその場所に僕はいることはなかったし、あの状態でなければ今回の行動を取ることもなかったと思います。

祖父母を見かけたこともそういった重なりがあったからこその奇跡で、その奇跡が生んだ今回の奇跡だったというわけですね。

自分がもし、良くない状態にあるということを自覚していて自暴自棄になっていたとしても、その中に信念があれば、その1つの行動だけは明るい未来を生むということが分かりました。

投げ出しちゃいけないんだけど、投げ出したくなることもある中で、もしも投げ出すなら「信念を持って投げ出す」ということを覚えておいてほしいなと思いました。

人生において「全ての出会いや行動には意味がある」ということの答えが、少し分かった気がした日でした。(どうか皆様お元気で)

一緒に頑張りましょう。

では、また明日。

WRITER
KOHTA FUKUI / Freelance Designer
KOHTA FUKUI
Freelance Designer