努力や節制を続けて来て得られた1つの未来。
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努力や節制を続けて来て得られた1つの未来。

2022.01.10
2022.01.10

おはようございます。FOURTEENのコウタです。

京都を拠点にフリーランスデザイナーとして活動しており、毎日休まず続けている、ランニングやブログを通じて感じた「継続は力なり」の大切さを発信したりしています。

京都を拠点に完全独学のフリーランスデザイナーとして活動し7年目。2016年から禁煙をキッカケに始めた毎日ランニングは1,830日、毎日ブログは610日を突破。(2021年12月31日現在)

僕は皆さんでいう、自分で自分だけの自由に使えるお金を稼いで、それを使う瞬間っていう時期を一切経験したことがありません。

詳しく話せば色々あるんですが、お金を稼げない時期も沢山あったし、稼いでいても自由には使えない状況があったんですね。

ということで今回は、 努力や節制を続けて来て得られた1つの未来、についてお話ししたいと思います。

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自分の未来を他人に「催促」された過去。

今思い返せば僕の人生ってそれなりに裕福で、何でもやりたいことが叶った時期(19歳まで)から一転して、それとは正反対の貧乏を経験した過去がありました。

そんな貧乏を経験した流れからもあり、僕が「独学でデザイナーになる!」と言ったあの日は、何もかも自分の理想が叶わない長い長い時間が始まったんです。(希望を持って上京したけど売れない芸人さんのような)

そんな中で、少なからずその貧乏の経験と、僕の人生にブレーキをかけた家族からさえも、僕が初めて持ったデザイナーという夢に対して「いつ就職するの?」「そんな仕事成り立つわけがない」なんて心ない言葉をかけられていました。

そこで僕は「30歳までにデザイナーという仕事が日の目を見なかったらデザイナーを諦める」ということを家族に伝え、フリーランスになって4年目には、自立出来る状態まで持って来ることになんとか成功しました。(夢を叶えた瞬間でした)

仕事以外に自分の欲しいもの、やりたいことなんて1つも実現出来なかった。

こんなことをホントに自分で言うのもなんですが、僕はこれまで、自分が欲しいなって思った服とか、物とか、食べたいと思ったものとか、もっと言えば仕事道具でさえも、「今必要なものじゃない」と思い込んで生きてきた人生がありました。

1年間に買う服も1着とか2着とかで、インナーウェアはどれもボロボロ、靴下なんかも穴が完全にあくまで履き続けてきたくらい、自分のためにお金を使うことはなかったし、身近な周りの人間がそういう贅沢的なことをしていても羨ましいとも何とも思いませんでした。

というよりも、今思えばそれは「思っていただけ」だったのかもしれません。(といっても今も別に贅沢思考はないんですが)

人並みの生活よりもさらに節制した生活をしていたからこそ、我慢を我慢と思っていなかったし、それが当たり前の思考であると思っていたからこその弊害だったのかもしれません。

努力や節制を続けて来て得られた1つの未来。

ここまで努力と節制を怠らずに生きてきた中で、得られたものというと、決して「明るい未来」だけではありませんでした。(もちろん明るい未来の方が沢山ありました)

その1つとして、自分の周りの人間から「甘え」や「嫉妬」が生まれたんですね。

これまで自分よりも、(特に経済的に)下だと思っていた人間がそれなりに頑張って自立することが出来るようになった時に、決して勝ち負けではないとは思うんですが、自分より立場が上の存在になったと感じた瞬間があったんでしょう。

例えるなら、マラソンで自分がリードしてたのにも関わらず、これまで遠く後ろで見えなかった存在が、ゼーハーゼーハー息を切らしならがら食いついてきて、自分と競り続けて、しまいには追い越そうとしているような存在みたいな感じです。

それに対して良い気がしないって思う人からは「嫉妬」が生まれて、一方で自分は努力しないで良い(緩め良い)んだという「甘え」が生まれたような存在がチラホラ現れ始めたんです

努力は必ず報われるけど、同時に悲しいこともあった。

19歳の頃から、自分の人生って何だろ?って考えて生きてきた中で、やっと自分のやりたいことが見つかって、だけどそれを周りの誰にも応援してもらえなくて、ずっと孤独な中で自分自身との戦いを続けて来たのが僕の人生でした

そんな中少しずつ、色んな人に反対されながら「僕はこう思うからこう進む!」と、相談とかはしたりしたけど、やっぱり最後は自分の心を信じて、その代償として自分の私利私欲を全て捨てて突き進んできました

その結果得られた未来は、僕にとってすごく明るい未来だったものがある一方で、全てが明るくなると信じて突き進んだ未来の中にも、どうしても悲しく感じることはあったってことなんですね。

何かを得るためには何かを失わないといけない。そう思って、自分の人生の一部を犠牲にして行き的な人生の中で、それでも払いきれないくらいだったのか、「甘え」や「嫉妬」を生んでしまう未来が存在したんです。

すごく複雑な気持ちになったし、でもそれでも毎日はやってくる。そんな中で感じるのが「人生の成長痛」だったのかもしれないし、それは一言で表すの「あれ?僕何のために我慢してたんだっけ?」って感じの感情でした。

でも、分かってるんです。僕は進んでいかないといけないってことを。

色々ややこしい問題なんかが日々生まれて、僕自身を、そして周りの環境を悩ませてしまうことがあると思うんですが、今僕に出来ることは、目の前のことと本気で向き合うってことなので、僕を求めてくださった方が与えてくれた機会を、最高のものに変えれるように努力を続けていきたいと思います。

一緒に頑張りましょう。

では、また明日。

WRITER
KOHTA FUKUI / Freelance Designer
KOHTA FUKUI
Freelance Designer