人生で唯一『土下座』をした日のことを思い出した。
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人生で唯一『土下座』をした日のことを思い出した。

2021.11.19
2021.11.19

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おはようございます。FOURTEENのコウタです。

京都を拠点にフリーランスデザイナーとして活動しており、毎日休まず続けている、ランニングやブログを通じて感じた「継続は力なり」の大切さを発信したりしています。

京都を拠点に完全独学のフリーランスデザイナーとして活動し6年目。2016年から禁煙をキッカケに始めた毎日ランニングは1,464日、毎日ブログは242日を突破。(2020年12月31日現在)

最近は、お仕事以外で「自分のしたいことってなんだろ?」って少し迷っているような心境が続いているんですね。

ただ、それにも関わらず地に足を付けられる(自分だけの衣食住を確保出来る)環境がない状況で、心が休まらずに気持ち的に少し滅入ってたりします。

という事で今回は、人生で唯一『土下座』をした日のことを思い出した、というお話をしたいと思います。

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土下座をすることがカッコいいなんて思ったことはない。

1つ前置きとして言っておくと、僕は情に厚い人間だからといって『土下座』のことを、気持ちを伝えるための行動の1つとして考えているというわけでも、カッコいいと思っている訳ではありません。

あんな屈辱的なこと、出来ることならやりたくないし、やったところで相手に誠意として気持ちが伝わりやすい行動だという事でもないと思っています。(なのでもう二度とやるつもりはありません)

でも何故か、ふと土下座をしたあの日のことを思い出して、あの時、あの瞬間は、自分の想いを伝えるために自然に出てしまった行動の一つで、そこには確実に『覚悟』が存在してたなって思うんですね。

その『覚悟』が、人生でたったの1度も人に頭を下げたことのないような(といえば言い過ぎですが)、そこそこプライドの高い僕の自然な行動として咄嗟に出ていたんですね。

確かあれは肌寒い大雨の日だった。

僕が土下座をぶちかましたのは悔しくも「身内」で、詳しいことは言いませんが、自分が認めて欲しいと思ったことに対して必死に訴えようとした結果として、「土下座」という行動があったんです。

思い返せばあの日、少し肌寒くなった秋口で、大雨が降っていて傘をさしていたことを覚えています。

僕が伝えたいことを無我夢中で相手になんとか伝えようと、傘を放り投げて、雨に打たれながら、雨で濡れたアスファルトにおデコを付けて、靴も膝もびちゃびちゃになりながら、ただひたすらに頭を下げました。

「恥ずかしいからやめてくれ」と、その場から去ろうとする相手に対して、周りにも人がいて、すごく惨めだったけど、とにかく聞こえるように叫びながら、その場に相手がいなくなった事も知らずも頭を地面に付け続けていました。(人の誠意を受け止めはしろよって思ったけど)

その時僕は「覚悟があれば身体は勝手に動くんや」ってことに気付けたことと、土下座という屈辱的な行為をカッコいいとは思わなかったけど、自分の心をプライドをもろともせず、心に素直に動けた自分に対しては褒めてあげたいと思えました。

そういや最近は大した「覚悟」って見てないな。

家族とか、友達とか、仲間とか。そういう言葉だけで単純に片付けられるような繋がりは僕には必要がなくて、そういう意味で、最近は大した『覚悟』って見てないなって思いました。

例え血の繋がった家族であろうが、自分の不満がある人間に対して平気で「出て行け」と言えたりするようなもんってことを知っているし、あの時の自分を思い返せば、大体のことは温いと思えた瞬間がありました。

「何かを伝えようと土下座をした日」「弟を守るために裸足で逃げ出した日」「親父の顔を本気で殴った日」いつも僕の心には「全部失っても良いんや」っていう、本気の『覚悟』がありました

僕がきっと『痛みを共有出来る人』をリスペクト出来ることや、一緒にいたり、話をしたりして安心感を得られるのはそういう『覚悟』の部分に答えがあるんだと思いました。

僕には「いつ死んでも良い」という覚悟がある。

ちなみに僕が土下座をした日に関しては、みなさんが想像するような「修羅場のシチュエーション」みたいな情けない状況ではなく、良い風に言えば男気を表現するために行動した感じの思い出だったりします。

家族は悲しむ(と思う)ので直接は言いませんが、友人にはよく「さっさと死にたい」ってことを当たり前のように話していたります。(目標は最低でも45歳までには死にたいと思ってます)

以前の発信でもお話ししましたが、「幸せだから生きるのか」「生きるために幸せを探すのか」を考えれば僕は明らかに後者で、幸せだと思えないのであれば生きてる意味はないと思っています。

今僕にとっての幸せは、「楽しい」という事ではなく、やはり「痛み」を共有出来る人と共に苦労をしていきたいという思いが強くあって、覚悟のないヤツに費やしている時間はないんだと思いました。

ただ、僕にだって昔からこんな覚悟はありませんでした。

色んな痛みを味わって、良い意味でも悪い意味でも心が据わったというか…。そんな中で、少しずつ成長をして来たからこそ、痛みを知った上で、守れる人が増えて来たんだと思うし、僕にとってそれが今の生き甲斐だったりします。

なんだか話がまとまりませんが、自分のプライドを捨ててでも「土下座(惨めな思い)」みたいなことを出来る「覚悟」は皆さんにはありますか?またそれはどんなシチュエーションの時ですか?(またこっそり教えてください)

一緒に頑張りましょう。

では、また明日。

WRITER
KOHTA FUKUI / Freelance Designer
KOHTA FUKUI
Freelance Designer