久しぶりに地元を歩いた時に見た奇跡の数々に走馬灯を見た気がした。
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久しぶりに地元を歩いた時に見た奇跡の数々に走馬灯を見た気がした。

2023.11.15
2023.11.15

おはようございます。FOURTEENのコウタです。

京都を拠点にフリーランスデザイナーとして活動しており、毎日休まず続けている、ランニングやブログを通じて感じた「継続は力なり」の大切さを発信したりしています。

京都を拠点に完全独学のフリーランスデザイナーとして活動し8年目。2016年から禁煙をキッカケに始めた毎日ランニングは2,195日、毎日ブログは975日を突破。(2022年12月31日現在)

先日、ふと思い立った感じで僕が生まれてから20年間生まれ育った地をフラフラと歩くこととなり、自分がよく公園やお店、学校、実家があった場所なんかを数年ぶりに見て回りました。

そんな中、田舎の休日だったにも関わらずにそれぞれの場所で見えた景色が、エモいという言葉を通り越してなんだか不思議な感覚になりました。

ということで今回は、久しぶりに地元を歩いた時に見た奇跡の数々に走馬灯を見た気がした、についてお話ししたいと思います。

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僕が約20年間育った故郷を歩いて。

僕は19歳くらいの時に家族のトラブルがあってからしばらくして、育った実家が競売にかかり泣く泣く奈良の実家を離れることになりました。

実家を離れてから京都に引っ越ししたこともあり、年齢的にも元々いた場所の近辺で遊んだり、むしろ何の目的もなく行くこともなく、約15年間の間、地元を「歩く」ということはほとんどなかったんですね。

今回、ふと思い立って色々な場所を感傷に浸りながら歩いていたら、友達が住んでいたアパート地帯がごそっと無くなっていて一瞬気付かなかったり、まだ頑張っているお店があったり、そんな景色の変化に一喜一憂していました。

そんな中で、休日にも関わらず、ある意味で「これは走馬灯なのか?」と思わせられる奇跡のようなものを目の当たりにして不思議な気持ちになったんです。

僕が遊んだ公園で僕が遊んだ遊びをする子供達。

その1つは、休日にも関わらず公園の前を通った時に普通に遊んでいる子供達が沢山いて、僕の地元ではなかなか休日にこれだけ子供が友達と揃って遊んでいるような状況は珍しかったので驚きました。

加えて、僕が当時遊んだ遊びをそのまま遊んでいる様な雰囲気で、今にも「混ぜてくれ」と言ってしまいそうなその雰囲気に、当時の自分を照らし合わせるような瞬間でした。

大きな公園ではそんな感じの景色を見たのですが、ふと自分の家から一番近い小さな公園に行った時に、男3人の子供達を連れた夫婦が遊んでいた景色は、離婚して離別してしまった僕の家族(両親と男3兄弟)を見ているようで、エモいを通り越した感覚になりました。

公園自体も、置いてある遊具は全てそのままで、きっと僕たちもこんな感じだったのだろうかと想像を馳せたり、僕が変わらずにここで家族を持ったらこんな感じなのかと想像するような感覚を感じました。

20年間住んだ実家のあった場所に行ってみた。

僕の実家は、最初にお話しした通り、家族の問題があってその場所を離れることになったのですが、今回初めてその場所に「歩いて」行ってきました。

で、驚いたのはその家路に向かう道で、学校が休みなのにも関わらず、僕と同じ小学校に通っている男の子が制服を着て、ランドセルを持って、実家のあるいつも僕が曲がった角を曲がった瞬間を見ました。

その子を追うように僕は同じ角を曲がったのですが、そこには僕が住んでいた家は建て替えられていてなかったのですが、当時から変わらない垣根の作りに確実に僕の実家であることは今も変わらず認識することが出来ました。

そのままジッとしているとただの変質者でしかないので、すぐにそこを立ち去ろうとした時に、まさかの当時僕が乗っていた車が前に曲がって来て、いつも止めていた場所にその車が重なった時に「どうしてこんな奇跡が起こるんだろう」と少し怖くなりました。

久しぶりに地元を歩いた時に見た奇跡の数々に走馬灯を見た気がした。

そんな感じで、僕はただふと思い立って地元に約15年ぶりほどに戻って、普段は車で前を通る程度の場所を歩いて散策する中で、何だかよく分からないままに奇跡の様なものを沢山目の当たりにしました。

「走馬灯」と錯覚してしまうほど、何だか怖くなってしまうくらいの光景があり、その時は友人も一緒に歩いていたんですが、僕の話に同じように驚きを隠せない様でした。

僕はそこで「初心に還る」というマインドに至ったんですが、これまでの経験の中でも一番「タイムスリップ」という表現が正しいと思うくらいの経験をしました。

そこから僕は少し冷静さを欠いていた状況にワンクッション置けたような感覚があって、また冷静になってもう少し頑張ってみようという気持ちになったんですね。

きっと今は、上手くいかない自分を俯瞰で見ている状態で、自分だけの都合ではないにせよ、色々と難しい感覚になっている状況で、必要なものとそうじゃないものを精査させられている時期なんだと思います。

上手く表現が出来ない感情が沢山あるんですが、僕が今置かれている状況に改めて感謝の気持ちを持ちながら、謙虚に生きていきたいと思います。

一緒に頑張りましょう。

では、また明日。

WRITER
KOHTA FUKUI / Freelance Designer
KOHTA FUKUI
Freelance Designer