虚無感に駆られて僕が存在しない世界線を感じてみた。
おはようございます。FOURTEENのコウタです。
京都を拠点にフリーランスデザイナーとして活動しており、毎日休まず続けている、ランニングやブログを通じて感じた「継続は力なり」の大切さを発信したりしています。
京都を拠点に完全独学のフリーランスデザイナーとして活動し7年目。2016年から禁煙をキッカケに始めた毎日ランニングは1,830日、毎日ブログは610日を突破。(2021年12月31日現在)
僕自身は休みはなかったんですが、世間でいうGWが無事に終わり、普段と違う感覚からやっと現実に戻ったような感じがして、早速お仕事の波が押し寄せてきています。
クライアントさんから連絡の来ない時間で「自分のことをやろう」と意気込んだものの、何もやる気が起こらず、そんな虚無感から少し僕のメンタルは疲弊してしまったみたいです。
ということで今回は、虚無感に駆られて僕が存在しない世界線を感じてみた、というお話をしたいと思います。
偶然電車で約20年会っていなかった祖父母を見かけた日から。
すごく複雑なことなので詳しくは言わないでおきますが、少し前に、色んなことがあって20年くらい会っていなかった祖父母を電車に乗っている時に偶然見かけました。
20年という時間がすごく長く感じたのはやはり「老い」で、元気で力強かった祖父母がゆっくりと慎重に歩いている姿を見て、時間の経過を感じると共に、この人達と会っていた世界線もあったのかと感じるようになりました。
その頃から僕はきっと「時間」とか「生きる意味」というものにナイーブになっていたのか、知らず知らずのうちに心が疲弊し始めていたんだと思います。
「時間」というものを埋める(埋め合わせる)ことは出来ないと思うんですが、自分が生きている証が欲しかったのか、それをやって良かったのかは謎ですが「元気にやってます」というメモと一緒に、少しばかりのお金を包んで祖父母のポストに入れて来ました。
僕が存在しない世界線を感じてみた。
その後はフラフラと、小学校の頃に通っていたサッカースクールのグラウンドに行ってみたり、そこに通っていた道を散歩したりしましたが、どういうことか廃れた状態になっていて、またここでも虚無感を感じたんですね。
雨が降っていたこともあって、心も晴れることなく、僕はこの数日間ホントに心ここに在らずといった感じで落ち着かず、少し荒れた2〜3日を過ごしてしまいました。
僕が存在しない世界線というものを感じて「あの時こうしてたら」とかを考えると、自分に全ての責任があるとも感じられない中で、すごく悔しくて、自分に与えられた運命や置かれている状態を恨んでしまいそうになりました。
定期的に訪れる「超鬱期」なのかもしれない。
診断されたわけではないので感覚でしかないのですが、僕はきっと鬱を持っていて、定期的にこうやって荒れたり凹んだりする時期がやって来ます。(酒を飲み散らかしたりお金の使い方が荒くなったりですね)
自分が何で生きてるのかが分からなくなって、普段から頑張って節制したり、太らないように食べるものを我慢していたりする意味が分からなくなり、その緊張の糸が解き放たれたような感覚になる瞬間です。
でも、僕はメンタルが強くないのでこういう時期も必要なんだなってことを感じます。
そういう瞬間を迎えた時はもちろん後悔するんですが、そういう瞬間があるからこそ「切り替えないとダメだ…」って自分を改めて律することが出来るんです。
自分が好きな自分になるための成長痛。
「今の自分が好きですか?」と聞かれれば、好きな部分はあるけれど、好きじゃない部分もあるというのが正直な答えで、その好きじゃない部分が何なのかを見つけることもまた人生には必要なんだと思っています。
人間って良いところばかりじゃないんですよ。でも何が悪いことなのかも実際に経験してみないと分からないことだってある。だからこそ色んな経験をすることで強くなれるんですよね。
僕は心が弱くて、すぐに色んなことをネガティブに捉えてしまうクセがあったりして、その都度人の何倍以上もしんどくなってしまいますが、その分大きく成長出来ると思っています。
今回もまた「自分が好きな自分になるための成長痛」だと思って、周りに流されそうになった時に、本当に大切なことは何かを理解して、自分を律すること。そしてそこから少し地に足をつけてまた強く踏み出せるように、切り替えて頑張っていきたいと思います。
一緒に頑張りましょう。
では、また明日。