【人生を背負う】個人のプライドに人を巻き込むな。
どうも、コウタです。
京都を拠点に完全独学のフリーランスデザイナーとして活動し5年目となります。2016年から禁煙をキッカケに始めた毎日ランニングは1,400日(2020年10月現在)を突破しました。
僕は今人生の岐路に立っています。
実は数年前から、家族や家族が築いて来た伝統を守るために、自己犠牲も含めてこれからの人生設計をした上で、自分の発言や信念に違わずに挑戦をし続けてきていました。
僕は宣言したことに対して逃げも隠れもしませんし、信念を曲げることはこれまでに1度もありません。
「筋が通っていない」「理不尽」なんて言葉は大嫌いで、ずっと真っ直ぐな生き方をして来た人間だし、そういう人間だったからこそ、叶えてこれた挑戦がありました。
ということで今回は、「人生を背負う」個人のプライドに人を巻き込むな、というお話をしたいと思います。
もしかすると、少し愚痴っぽい内容に聞こえるかもしれませんが、僕がここ数年、信念を持ってやって来た努力が、個人のプライドによって報われない可能性があることを知り、ここにメッセージを残したいと思います。よければ最後まで聞いてください。
僕が人生を掛けて取り組もうとしたこと。
僕の実家は代々「お店」をやっていて、結構な力仕事のある業種で専門の技術や知識も必要なために「後継ぎ問題」は結構しんどい状況でした。(特定を防ぐためここでは「お店」と表現させてもらいます)
後継ぎが問題になる理由が、現在の店主(僕の叔父にあたる人)に息子などがいない上に、家族に適した人が一切いなかったからです。
その中で唯一、僕がフリーランスという、時間に自由のききやすい仕事だったこともあり、ホームページ運営(ネット販売)などが出来る事も含め、後継ぎの可能性が見えてきた形です。
店主からも実際に言葉として後継ぎの可能性が出た僕は、商品の価値を理解するために勉強し、お店に置いてある大きな機械の使い方を習得、自分のデザインの仕事もある中で、短期間集中して「基礎」を学び「流れ」を掴み「両立」する形を模索しました。(そこで全部を知ったとは一切思っていません)
そんなある日、店主から直接相談を受け、そのお店のこれまでのスタイルでの収益だけで経営していくことは難しく、やっぱり閉店を考えているということでした。
僕には閉店の選択肢は一切ありませんでしたが、お店にある商品の価値は、現代においては「嗜好品」の域に達していて、現在のニーズとしてはコンスタントに売れる商品ではないので、「お店+α」のスタイルでの経営が必須になってくるわけです。
ただ、店舗型であることから、その時々の注文の都合にもよりますが、1日中作業をしっぱなしの付きっ切り状態ではないので、僕はフリーランデザイナーとして事務所で仕事をし、お客さんが来たら随時対応というスタイルを取れることが出来る形です。
「お店」と「デザイナー」という関係は、時間的には干渉し合わないので、僕はメインであるデザインでの収益で、お店の収益を補填しながら経営を維持するスタイルを取れることに可能性を感じました。
ちなみに、僕がここまで「お店」を残すことにこだわる理由は、大好きなおじいちゃんが残してくれたものでもあり、自分の叔父(店主)、母親、おばあちゃんの収入源でもあるからです。
僕はそんな感じで、自分のデザイナーとしての仕事をやりながら、お店を維持する道を模索し、みんなが笑顔で助かる道を自分の人生を掛けて背負っていくことを決意しました。
自分の人生を掛ける上で出した条件。
家業を継ぐことで1番ややこしいのが「相続」などの「お金の問題」です。
僕は自分の家族関係をお金で傷付けた過去があることから、この問題だけは絶対にクリアしておく必要があったんです。
あと、僕がお店で実際に働きながら技術や知識を学んでいる時間は給料を一切もらっていないかったので、この後継ぎの裏付けがない状況では、お店に対して時間を割き続けることは出来なかったんです。(僕にも生活があるので…)
そこで後々トラブルにならないように、正式に僕に後継ぎを約束してくれるのであれば、先に契約書を交わして欲しいと伝えました。
出した条件は、ざっくりと以下の3つです。
- 出た収益が僕に残るようにしてほしい。
- 経営方針に他の家族が介入出来ないようにしてほしい。
- 土地の一部に自分の住居を構えさせてほしい。
①の「出た収益が僕に残るようにしてほしい」というのは、そこで出た収益を相続の都合で他の家族と分配する必要が出れば、そもそも経営することも難しければ、僕のリスクが大きくなり過ぎるから、ここの収益に関する部分をしっかり明確にしてほしいということです。(従兄弟を含めて6名以上の家族がいるのでややこしいのです)
②の「経営方針に他の家族が介入出来ないようにしてほしい」というのは、例えば「フリーマーケットに出店したい」と僕が決めた時に、従兄弟1人が「それはダメだ」と介入して来た時に、出店を断念しないといけないという状況は避けられるようにしてほしいということです。
③の「土地の一部に自分の住居を構えさせてほしい」というのは、お店に通える距離に住む為に、近くに住居を借りて高い賃料を捨てる形にな流のはリスクが高いので、空いている土地の一部に僕の家を建てさせてほしいということです。(京都の真ん中なので家賃がめちゃくちゃ高いのです)
僕が今、京都にいる理由はお店の後継ぎの問題だけで、この問題がなければ僕は京都に残る理由は一切ないんです。(田舎の広い土地に大きな家を建てたい)
要するに僕は、自分だけではなく、多くの家族を背負っていくために「まずは自分に掛かる負担を最小限にしたい」という希望を出したわけですね。
お店から出た収益は、お店の維持・改修・チャレンジに使わないといけないし、そこでお店の舵取りを他の家族全員で持っている状態では自由が利かないしチャレンジも出来ません。
そんな状況で僕は、お店に通うためだけに京都の高い家賃を払い続けながら、大きなリスクを背負って生きていくことは出来なかったので、最低限の条件を提示しました。(僕がめちゃくちゃに稼いでたら別ですが、現実としてギリギリなので…)
人生を背負うということ。
僕は自分の母親、弟、おばあちゃん、叔父もそうですが、お店(土地)を守る立場として、従兄弟の想いも背負って生きていく必要があります。
でも、もちろん僕にも人生があって、結婚や子供のこと、そしてそこにかかるリスクを最をもっと大切に考えた上で決断しないといけないこともあります。
欲張りだとは思うんですが、「みんなが笑えるように」というのが最高で、それに至るまでにはまず「みんなに迷惑を掛けないように」というのが最低限のことであって、それを実現することが「人生を背負うということ」だと思っています。
僕はそこまでの覚悟を持った上で、リスペクトを持ってお店を継いでいきたいと伝えたし、一切生半可な気持ちはありませんでした。
店主は話を理解してくれた上で、お店を引き継ぐ上で、そういう大切な部分の契約を実現するためにどうしていくかを考えてまた連絡をすると言って、僕は自分に出来ること(まずはデザイナーとして安定するための努力)をして待ち続けていました。
そして、結果的にどうなったかといえばの話ですが…
あれだけ熱い思いを伝えて理解してもらった後、店主は改めてその時に話の内容を思い返して、僕がフリーランスデザイナーとお店の経営を両立すると言った時の表現の中に「片手間」というキーワードがあったことが、後に無性に腹立たしくなったみたいなんですね。
そこから、店主は僕に対して怒っていて、もちろん具体的な返事もなく、無視をされていた状態でした。(1年くらいずっと)
ちなみに「片手間」とは、決してリスペクトを欠いた言葉ではなく、「事務所でデザイン仕事をしながらお客さんが来た時に対応出来るよね」っていう、効率面の話の流れで使った言葉が「片手間」という表現だっただけで、簡単にやれるという意味では一切ありません。
僕はお店を継ぐためだけのために、ここ2年ほど高い賃料を払ってお店に通える距離にマンションを借りていましたが、この「片手間」という言葉の捉え方と、そこに反応したプライド高さによって、沢山のことが水の泡になりました。
個人のプライドに人の人生を巻き込むな。
僕はこの後継ぎために、家族を巻き込んで協力をお願いして、いろんな人に相談に乗ってもらい、色んな人を待たせてきました。(人の人生を背負ってたよ)
店主以外の意見は完全に合致していて、あとは契約書を含めて進める、それだけの話だと思っていたのですが、ここに来て店主のプライドが反応し「やってほしい」から、「自分が死んだ後にやりたかったらやれば?」といったスタンスに変わったんです。
そして、2年以上努力をして、待ち続けた僕に迫られた選択は「無理に京都に残らなくて良い」ということで、たった1人の無意味なプライドによって全て終わったということです。
結局、色んなシミュレーションをしましたが、店主1人でお店を立て直すことなんて出来ないし、結局ダラダラとやっていても体力的にも無理が来るし、そうなれば経営は悪化していく一方なんですね。
加えて、店主はもともと身体が強い人ではないので、万が一のことがあれば急に逝ってしまうなんてことも全然あり得る状態です。(過去にも何度もありました)
言い方は少し悪くなりますが、店主が死ぬのは自由なんですが「残されたお店と大量の在庫を、体力的にも後を継ぐことが出来ない家族が、どういう未来を歩んでいく必要があるのか」を、店主がどう考えているのかが僕には理解出来ません。
僕は我慢強い方だと思いますが、ここまで来れば、特に後継ぎに固執する理由もなくなり、これから恐らく京都を出ますが、近い未来に「誰かどうにかしてもらえないか?」と言われることは目に見えています。
そんな時に、例えば僕が他府県に家を建てて生活をしていた時に「帰って来てくれ」と言われても無理ですし、そこまで他人のプライドや人生に付き合ってる暇はありません。
自分が輝いていないといけない、自分を立ててもらわないといけない、そんなクソみたいなプライドに人の人生を巻き込むなと、心から叫びたいです。
結局僕が伝えたかったのは、自分の思い通りにいかなかったということへの不満ではなく「沢山の人間の思いを背負った戦いが、たった1人のプライドによって終わることもある」ということです。
僕はまだ自分の人生を諦めていないし、これからも挑戦を続けています。
ただ、今回のことで1つの岐路に立ったのは確かです。
僕はこれからもより多くの人を笑顔に出来る選択と挑戦を続けていきたいと思います。
一緒に頑張りましょう。
では、またね。
複雑だったので、内容を上手くまとめることが出来ませんでしたが、最後まで読んでくださってありがとうございます。