親父みたいな親父になりたいと言い続けていたかった人生。
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親父みたいな親父になりたいと言い続けていたかった人生。

2024.01.18
2024.01.18

おはようございます。FOURTEENのコウタです。

京都を拠点にフリーランスデザイナーとして活動しており、毎日休まず続けている、ランニングやブログを通じて感じた「継続は力なり」の大切さを発信したりしています。

京都を拠点に完全独学のフリーランスデザイナーとして活動し9年目。2016年から禁煙をキッカケに始めた毎日ランニングは2,570日、毎日ブログは1,340日を突破。(2023年12月31日現在)

先日、母親から突然の電話があり、滅多にないことなので嫌な気がしながらも電話に出て話を聞きました。

電話越しの母は少し涙声になっているような感じがしたのも束の間、すぐに「父方の祖父が人工心肺を付けられ後何日持つか分からないと知人から連絡が入った」と聞かされました。

ということで今回は、親父みたいな親父になりたいと言い続けていたかった人生、というお話をしたいと思います。

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父方の祖父の容態と祖母の現状を知らせる母からの電話。

実は僕、家庭の事情で父方の祖父母とはもう20年以上会っていない状況で、最後に会ったのは恐らく僕が中学生くらいの頃だったと思います。

原因は、両親のことなので詳しくは分かりませんが、自然と父方の祖父母には触れないような環境になっていき、学校や部活で時間がなかった状況と思春期なんかも重なり、自然と会うこともなく両親は離婚しました。

そんな状況の中での、母からの涙声の電話は意味が分かりませんでしたが、「祖父に何かあった時は母と僕ら兄弟はぜひ来てほしい」という連絡が入ったことに、時を超えて色々と思うことがあったのか、母は少し嬉しさを感じていたような気がしました。

ただ、僕個人の話になるのですが、ここ2年ほど、心も体も疲れ果てて放浪していた様な時期に、とある駅で「父方の祖父母らしき人」を見つけ、20年もの時が空いていたにも関わらず、一瞬でそれが祖父母であることに気付きました。

20年ぶりに父方の祖母と電話で話せた奇跡。

20年ぶりに父方の祖父母が手を取り合って(手を繋いで)歩く姿に僕は「昔から変わらないな」と、何とも言えない感情になりましたが、荒れに荒れた僕は自分が恥ずかしく、そこで2人に声を掛ける勇気もなくただ2人を眺めているだけでした。

少し時がたって、荒れた時期が究極に達しそうになった時に「荒れて生きるくらいなら誰かのために行動しよう」と、あの時の祖父母の後ろ姿が浮かんで来て、僕はコンビニで買った封筒に3万円と「浩太です。お元気ですか?2人で旅行でも行ってください。」と書いたメモを入れて、祖父母の家のポストに投函しました。

それから数ヶ月が経って、母から突然「あんた(父方の)おばあちゃんとこ行ったんか?」と聞かれて、そんなことすら忘れるほどに荒れていた僕はそれを思い出し、行ったことを伝えると、知人伝いで「おばあちゃんがお礼の電話をしたいらしい」ということをお願いされたと言われました。

知人に聞けば、あの時僕がポストに入れた封筒は、ずっと神棚に飾ってあると言っていました。

僕の中であの行動は、20年以上会っていない父方の祖父母のどこか寂しげな背中を偶然見つけて、「孫はもう1セットいて僕は今も覚えてるよ」ってことを伝えることが、祖父母の生きる勇気になればと思っていただけだったのですね。

ただ、声を聞かせて欲しいという祖母のお願いを僕は承諾して、電話をしたところ「浩太か?おばあちゃんのこと覚えてる?」と、優しい声でたくさんのことを話してくれた時間は、僕にとって夢のようなフワフワした時間だったのを覚えています。

母方の祖母の葬儀で10年ぶりに再開した父親。

そんなことがあったと同じくらいの時期に、今度は母方の祖母の容態が急に悪化して、同じタイミングくらいに亡くなってしまったことをキッカケに僕の状況はまた一気に動いたんです。

その母方の祖母のお通夜に、父親が来たことでした。

僕は父方の祖父母と20年以上会っていませんでしたが、父親とも10年以上会っていない状況で、話せば長くなるので端折りますが、最後に会ったのは、両親が離婚して父についていた僕が、父親に対して嫌気がさしてと一緒に住んでいたアパートを夜逃げしたタイミングでした。

そんな父親が10年ぶりに僕の前に姿を現して、あれだけ人に頭を下げられなかった父親が僕に対して「いつも迷惑かけてすまんな」と、人生で初めて謝ったところを聞いたと言っても過言ではないくらい、初めて僕に頭を下げて来たんです。

「お前の活躍を見ている」と言われ、父から初めてリスペクトを受けた僕は、この人はやっと改心したのかなと少し嬉しい気持ちになったのを覚えています。

親父に伝えたいこと。

ただ、今回僕が伝えたいことは色んな止まっていた時間(祖父母との20年間・父との10年間)が動き出した中で、「せめて最期くらいしっかりしろ」ということを親父に伝えたいんです。

理由は、祖父がこの状況になってることを知っても音信不通を貫いていると聞いたからです。

自分の親父の最期くらい、長男のお前が見届けなくてどうすんねん。

結局、人はそう簡単には変わらないし、こんな状況でも誰にも求められていない「自分の正義」を貫く親父なんてものは1ミリたりともカッコいいとは思えません。

今あなたは「挑戦を続けてる」と言ってましたが、自分のことしか考えられてない人間の挑戦には何の応援も生まれないし、あなたが何をしようと絶対に成功しません。

僕の親父って、昔はめちゃくちゃカッコよくて、友達にも誇れる最高の親父だったんですよ。

なのに今は、ただ自分の正義を貫いて、それが正しいと思って誰にも頭を下げられずに孤立して、なのに人に頼らないとどうしようもない人生のくせに、人に感謝出来なくてどうすんねんって僕は思います。

ここぞのタイミングの土下座1発とか全くいらないんで、1つ1つ、常に謙虚で、感謝を何かしらの形で伝えていくのが生きるってことだと早く気付いて欲しいなと思います。

あなたの正義は、いつからかずっと無責任な正義になってます。

きっとこんな状況が続けば、僕はもう二度と親父の前に顔を出さないようになると思うし、そうなった時に、あなたが今置かれている状況と同じ二の舞を、僕ら子供にも味合わせるつもりになるのを分かって流のかなって思います。(ほんとバカなの?)

僕は、「親父みたいな親父になりたい」って思ってた時期があったし、心のどこかでそれを思い続けていたかった人生だったんだなと思いました。

まだここから、きっとあなたが本気を出せば取り戻す余地は十分にあります。

でもこれがきっとラストチャンスです。

一緒に頑張りましょう。

では、また明日。

WRITER
KOHTA FUKUI / Freelance Designer
KOHTA FUKUI
Freelance Designer