20年以上会っていなかった父方のお祖父さんの最期に立ち会って生まれた未来。
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20年以上会っていなかった父方のお祖父さんの最期に立ち会って生まれた未来。

2024.01.22
2024.01.22

おはようございます。FOURTEENのコウタです。

京都を拠点にフリーランスデザイナーとして活動しており、毎日休まず続けている、ランニングやブログを通じて感じた「継続は力なり」の大切さを発信したりしています。

京都を拠点に完全独学のフリーランスデザイナーとして活動し9年目。2016年から禁煙をキッカケに始めた毎日ランニングは2,570日、毎日ブログは1,340日を突破。(2023年12月31日現在)

人生山あり谷ありというけれど、山がなかったら谷はなく、谷がなかったら山はないと僕は思っています。

そんな中、「山で遭難したら登れ」という言葉があるように、そんな言葉の通りに僕らはもしも谷に落ちたとしたら上を目指して歩くんですよね。

ということで今回は、20年以上会っていなかった父方のお祖父さんの最期に立ち会って生まれた未来、についてお話ししたいと思います。

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20年以上会っていなかった父方のお祖父さんの最期。

以前の記事でもお話ししたんですが、訳あって僕は自分自身の姓である「福井」のルーツである「福井家」との関係が20年以上断たれていた状況がありました。

そんな中、お祖父さんが「人工心肺を付けられて後何日持つかわからない」という連絡を、福井家の人間からではなく、それを聞いた知人から母に対して連絡が入ったことで今回のことが分かったんですね。

お祖父さんに会うのが20年ぶりということはの話なんですが、もちろんお祖母さんに会うのも20年ぶりで、従兄弟家族や親戚や友人まで、そこに携わる全ての人に会うのが20年ぶりだったんです。

そんな「一生繋がることがないと思われていたはずの再会」を、自分の死を通じて与えてくれたお祖父さんは、これから生まれていく多くの財産に繋がるものを残してくれたと思うと、何だかすごく感慨深い時間だったなと感じていました。

人生2回分生きているような僕の感覚。

家庭の事情を詳しく話せば長くなるので控えますが、僕は時に「母親代わり」として生きる時代があって、時には「父親代わり」で生きる時代があって、普通に生きれいれば99%の人は戦わなくて終わる人生を戦って生きて来ました。

母親の祖父が亡くなった時に母親を支えたのは僕だったし、父親の祖父が亡くなった時に父親の代わりをして母親を支えたのも僕で、長男としてではなく福井家のトップとして立ち続けている責任感を背負って、2人分の人生を生きているんですよね。

時にそんな責任感と重圧にメンタルがぶっ壊れてしまうような時があったりして、これまで何度も今を投げ出しそうになったんですが、そこから一度も逃げなかったからこそ僕の今があると思っています。

そんな中で今回も、クソみたいなプライドを捨てられない(死んでもいない)父親が、自分の父親の最期にも現れず、そんなクソ親父の代わりを全うした僕が、20年ぶりの家族との再会の中で、表向きとは別に、裏側では色んなことを考えながら感傷に浸っていました。

20年ぶりの再会の後ろで考えていたこと。

従兄弟のおじさん(親父の弟)から、立派に育ってくれていて嬉しいと声を掛けてくれた一方で、「浩太は苦労したんちゃうんか?」と聞かれて、僕は自分が苦労をしていた感覚すら消えているので「苦労はきっと先にするか後にするかどっちかで僕は先にした方なんだと思います」と答えました。

そんな話をしている裏で、人生は山あり谷ありという言葉があることを考えて「僕の人生は谷ばかり歩いている人生なんだな」ってことを考えていたんですよね。

でも一方で「山で遭難したら登れ」という言葉もあるように、僕はずっと谷にいたからこそ「登り続ける」という選択を(本能的に)選び続けて来れたんだと思います。

ただ、その谷の深さは分からないにせよ、山頂は一角しかないから谷の時期が長いように感じるけど、強く生きようとする限り、僕らは上を目指して歩いているということをいつしか僕は悟りとして感じていた様な気がしました。

平和な日常なんて僕には存在しないからこそ。

従兄弟家族を見ていると典型的な「田舎家族」で、それはとても良い意味で「フワフワ」とか「ほのぼの」と言ったような、小さいけれど当たり前にある幸せを大きな幸せに昇華出来る素晴らしい家族なんだなってことを見ていました。

それは言い換えれば、「夢もない」とか「向上心もない」とか、一定数の可能性を(敢えて)考える必要のない環境で生きているからこそだと思うんですが、一方で僕にはそんな平凡はこれからも生まれないと思います。

僕は「道なき道の開拓者」として、誰よりも先頭に立ち、家族だけではなくクライアントさんを守りながら、これからも戦って行かないといけないんですね。

そんな中で、あーだこーだメンタルについて考えてることよりも、目の前のことに本気で取り組んで疲れ果ててさっさと寝る方が良いと思ったし、メンタルについて語る人に限って、考えてばっかりで行動せず自分が楽になる仕組み探してるだけな気がしています。

そんな時こそ、誰かを非難して自分を上げるとか、誰かに憎しみを感じたりするんじゃなくて、プライドというおもりを外して、謙虚さと感謝だけを注げば今いる谷を一気に駆け上がることが出来ると僕はこれまでの人生で学びました。

20年ぶりの再会であった「福井家」に、僕ら「福井家」が、従兄弟のおじさんから「お骨まで拾ってくれたら嬉しい」と、そんなことを言ってもらえた僕らは福井家(父親抜き)は、1つの山頂を見つけられたんだろうと思いました。

そんなことを考えながら、20年ぶりの家族との再会の場でおじいちゃんのお骨を拾い終えて、何かの終わりは新しい何かの始まりなんだと感じました。

一緒に頑張りましょう。

では、また明日。

WRITER
KOHTA FUKUI / Freelance Designer
KOHTA FUKUI
Freelance Designer