祖母のお葬式から家族との時間を過ごして。
みんな祖父母は2人ずついる。
普通に考えて、その方々の生存や家庭の事情などを抜きにしたら、一人の人にはおじいちゃんとおばあちゃんが父方、母方を合わせて2人ずつはいると思います。
そんな中で父方の祖父母に、僕は中学校に入学するあたりの年齢から(家庭の事情で)会うことがなくなってしまったんですよね。
決して僕自身が仲が悪くなったわけではないのですが、いつからか父方の家族達やその周囲の方とは疎遠になり、20年以上(父方・母方を考えれば)片方の時が止まってしまったような状態でした。
父方の祖父が昨年亡くなったことをきっかけに。
そんなモヤモヤがあることすらも消えて、もうそういう人生であったんだと思い込めていたようなタイミングで僕は、とある駅で父方の祖父母が手を取り合って歩く後ろ姿を目撃することになりました。
20年以上会っていなかった祖父母の後ろ姿をみた瞬間に、それが祖父母だと分かった僕は得体の知れない哀愁に駆られ、その数日後に封筒にお金を入れて「浩太です。覚えてくれていますか?少ないですが旅行に行ったり美味しいものを食べてください。」と手紙とお金を添えた封筒をポストに投函しました。
そこから時は動き出し、僕に祖母から電話がかかって来て、ほんの少しだけ父方の祖母と接点を改めて作ることが出来たんです。(その時に祖父が痴呆症で何も分からない状態になっていることを知りました)
そんなことがあったのも数年前、そして昨年に祖父が亡くなり、その葬儀に呼ばれた僕はまた、20年ぶりに祖母だけではなく、父方のご家族や友人(従兄弟や昔可愛がってもらった友人など)とも再開することになったんです。
その一年後に祖母までが亡くなって。
祖父の死をキッカケに止まっていた時間が動き始めたと思っていた矢先、今年に入って早々、新年のご挨拶よりも早く、今度は祖母の訃報を聞くこととなりました。
病院に向かった時にはもう既に亡くなってしまっていて、早々に葬儀の日程などの手配が始まり、本日その当日を迎えました。
人の死とは儚いもので、家族だけのごく少数で、小さな葬儀はあっという間に終わりました。
親族や近しい友人との再会などの喜び中、ただ一人、絶対に来なければならない僕の父が(祖父の葬儀の時も含めて)参加しない残念なこと以外、滞りなく終えることが出来たことが幸せでした。
葬儀の後に過ごした従兄弟家族と時間。
僕の親父が腐っても、僕はその家系の長男であって、僕は祖父母の一番孫であることには変わりありません。
家族での食事の際にお会計を支払うタイミングを伺ったり、本来は父親がやることを僕が気にしないといけないことや、声のない「20年間お前達は何してたん?」というプレッシャーの板挟みを感じながら時間を過ごしたのは事実です。
僕が知らない20年間という時間の中で、僕が知らない血の繋がりの従兄弟が同じ時間を過ごしていて、そんな生まれたことも知らない従兄弟から「お兄ちゃん」と言われるのはなんだか不思議な気持ちになります。
一生に1回しかないかも知れない時間を、時間が許す限り共有してお別れしましたが、僕にとって特別な時間になりました。
一緒に頑張りましょう。
では、また明日。