重ね着しがちなプライドを脱ぎ捨てて。
歳を取る毎に重ね着するくだらないプライド。
人間は、歳を取る毎にプライドを重ね着していく生き物だと感じていて、きっとそれは「過去の栄光」みたいなものを身に纏っていないと、今の自分を律することが出来なくなって来るからだと思うんですよね。
要は「今の自分として見に纏うものがなくなった」ということで、押し入れをひっくり返して、昔来ていた(古くなった)ブランド物の服を必死に重ね着するような感覚です。
そこで発されるのは「昔はこれがイケてたんだよ」とか「今着ても良いものは良いよね」とか「年季が入って逆に渋いよね」と言った昔自慢で、現代に生きる人からすれば相槌を打つのがやっとなくらいのことだったりします。
あ、でも例えが服だったので、服にフォーカスした場合に限り今言ったような「味」というのは確実にあるものなので、あくまでそれを着ていることで、(今は何もないのに)過去の栄光を引っ張り出して優越自慢してる人のことだと思ってください。
ジャイアントスイングのように振り回されて。
思い出すだけで嫌なので普段は心の奥底にしまってるようなことなんですが、もしも僕が世間一般と同じように順調に何もなく歳を重ねることが出来たらどうなってたんだろう?と思うことがあります。
父親の借金、両親の離婚、19歳から家族のための労働、家業を継いでくれ詐欺、改めて家業を継がせてやろうか提案、それぞれ色々と問題はあるとは思うけど、そこにあるのは「(僕以外の)個人のプライド」です。
プライドを脱ぎ捨てられなかった人に「その服良いですね!」と、ご機嫌を伺いながら、その人達のために僕自身がプライドを捨てる人生の繰り返しは、本人の気分で状況が目まぐるしく変わっていくことなのでジャイアントスイングのごとく振り回されっぱなしでした。(です。)
そういう苦い経験を色々として来た僕ではありますが、こういう話をすると「そういう経験があったから今があるんじゃないか」と諭される流れは想像しつつも、それを諭して良いのは僕が自分自身にだけだよって思ってたりします。
本音と本音でぶつかれることの幸せ。
お仕事関係の人とでは難しい場合も多いと思いますが、やっぱり僕はいつだって本音と本音でぶつかれることって幸せだなって思うんですよね。
ちなみに僕は仕事とか関係なくぶつかりますが、そういうので切れる縁とは縁がなかったと思って接するようにしています。
だって「お金だけもらえたらそれで良いぜ!」なんて思ってお仕事をしてないし、僕だって依頼してくださった方のために全力で意見してる訳で、それが間違った方向に行ってたとしたら軌道修正をするには本音が必要じゃないですか。
ただ、なかなか本音でぶつかれる人っていうのは多くはなくて、大体の場合はそこで「お金払ってるんだから依頼だけ聞いてたら良いよ」といった感じで少し引かれて終わる肩透かしのような状況になってしまいます。
大体その場合上手くいかないんですが、自分のポートフォリオに載せられるような仕事をしたいなと思ってる一方で、相手の都合によって泣く泣く抑え込んだ力しか発揮できなかった経験なんて腐るほどあるんですよね。
で、これは仕事だけじゃなくプライベートも同じです。
全てを受け止めて抱きしめる覚悟で。
僕も今年で36歳になり、干支で話せば人生を3周生きて来ました。
スポットライトを浴び続け来たプライドを捨て、19歳で超貧乏生活、明日を生きるために家族のために働き、人見知りで恥ずかしがり屋の自分を克服して(催事で)試食販売の仕事で知らない人に声を掛ける日々。(これは父親のプライドを守るために催事で働いてました)
ホストクラブのボーイ時代は皆んなの売り上げのために、ホールにB’zの衝動が流れたらマイク片手に走り出し、1曲まるまる本気で熱唱して、お客さんに笑われながらも数杯のお酒を売り上げる日々。
他にも沢山、惨めな思いはして来ましたし、プライドを捨てることなんてもう慣れっこです。ドブ板営業なんて屁でもありません。むしろ大歓迎。
格好付けたまま死にたいなんて思ったこともないし、皆んながいい方向に進むのであれば僕は全てを受け止めます。
本気で(シンプルに嫌いな)人の愚痴や不満を言う人がいますが、僕はそれは絶対にしません。
「全て受け止める覚悟で本音でぶつかる」これが僕のモットーですし、僕が言う不平不満や愚痴は「本人を目の前にして言えること」です。
先日もぶつかりました。そして和解しました。(むしろ一方的に本気で謝ってもらいました)
こういうことが出来る人たちが増えて、熱く、自分個人じゃなく他大勢の人が幸せになれる道をこれからも探していけたら幸せですよね。
僕はずっと、それを目指します。