年男になって今思い返す12年前の僕。
年男になって思い返した12年前の僕。
今年、僕は36歳を迎える年男の訳なんですが、ちょうどひと回り前の24歳の頃の僕を思い返した時に、グズグズの人生を送ってたなということを思い出しました。
どれくらいグズグズだったかと言えば、僕は家庭の事情で19歳から給料という給料をもらわずに、家族のためにお金を稼いでいて、そんな生活が終わったのが21歳になってからだったんですね。
そこからすぐに自分のために働き始めて、自分が自由に使えるお金を稼げるようになったんですが、当時の僕には「学歴」というものがなく、今の時代とは違って学歴優先社会の中での劣等感は計り知れませんでした。
家族や気の知れた友人からも「就職しなさい」と言われ続けた中で僕は「独学でフリーランスデザイナーになる」という夢を追うことを決めたのですが、そこでの僕の生活は、掲げたデザイナーという目標の中で1円もお金も稼げないゴミ同然のニートだったと思います。
家族にサポートしてもらいながら、甘々と守られた生活の中でそれを当たり前に感じ、偉そうに言う割には眼に見える成果をあげられないまま、狼の遠吠えのようなものを続けていた腐った生活を送っていました。
ここ数年の自分自身に映る20代前半の僕。
今でこそ、僕はそれなりに自立していて、著名人や一部上場企業とお仕事させていただくことになったり、嬉しいことに常にお仕事は順番待ちの状態で忙しくさせていただくまでに至った訳なんですが、何だかあの当時の自分と重ね合わせることがあったりします。
運命的なものを感じたりもするのですが、人生は良い意味でも悪い意味でも繰り返しが起こるんだと。
12年前の僕は、絶対的に夢を叶えられるという「自分を信じる気持ち」が心にあったのにも関わらず、得体の知れない「劣等感」や「不安感」など苛まれて、自暴自棄になったり、荒れたりするような時期を過ごしていたことを思い出します。
今の僕もそうなんですよね。
「絶対に出来る」っていう圧倒的な自信があるにも関わらず、ふと「このままで大丈夫かな?」って不安になる瞬間があって、その比率がネガティブが多い時期になってしまうことが増えて来る、いわば谷の季節がやって来たんだと感じています。
普通で良い、普通が良い。けど。
僕という人間の人生は波瀾万丈で、一方で僕個人という人生は順風満帆だったりします。
どうしても誰かの人生に首を突っ込んでしまうところがあって、かといってそれを足枷だとも思っていなくて、純粋に生き甲斐だと思っていて、お節介から始まる大変な人生を歩んでいたりします。
で、よく言うんですよ「普通で良い、普通が良い。」って。
でもね、もしそれが現実になった時に僕はきっと「つまんない人生だな」って言うということも分かってるんですよね。
普通じゃないからこそ、もう僕の人生なんてめちゃくちゃで、家族や友人、仕事相手だって迷惑を掛けられることもあれば、思いっきり迷惑を掛けることだってある。
ただ、いつだって意識していることは「本気でぶつかること」で、よくスポーツの試合で勝敗が決まった時に、本気で悔しがって泣き叫ぶような、そんな熱い(熱苦しい)人生を僕は好んで生きる変態だと思っています。
上等だよ、谷の時代。
誰よりもスポットライトを浴びてチヤホヤされる時代もあれば、どれだけ努力を重ねても、どれだけ不義理に耐えてても、相手にされない谷の時代っていうものがあります。
こんなこと言うとね、今僕を信じてお仕事を依頼してくださっている方々に申し訳ないのですが、きっと僕は今(世間の見え方からすれば)恐らく谷の時代に入ってると思います。
出来ることも増えて、実績も大きくなって、確実に成長してるので安心してください。
僕の気持ちの問題で、絶対に僕はここから這い上がります。
とはいえ、年齢も考えると12年前ほど無理が効かなくなってることも事実で、その辺りの塩梅を今探り探りしながら、今の自分の限界の中で少しずつ進んでいきたいと思います。
ぶら下がられることが多い人生ではありますが、また「ぶら下がれられて上等だよ」って言えるように、今は「上等だよ、谷の時代。」って気持ちで1つひとつを丁寧に着実にこなしていきたいと思います。
負けんな、俺。