昨今の学生の登校拒否について学歴を重んじない僕が思うこと。
おはようございます。FOURTEENのコウタです。
京都を拠点にフリーランスデザイナーとして活動しており、毎日休まず続けている、ランニングやブログを通じて感じた「継続は力なり」の大切さを発信したりしています。
京都を拠点に完全独学のフリーランスデザイナーとして活動し9年目。2016年から禁煙をキッカケに始めた毎日ランニングは2,570日、毎日ブログは1,340日を突破。(2023年12月31日現在)
先日、とあるお仕事でご一緒した方から「僕の生き方」について聞かれる機会があり、そんな話の流れで「子供の登校拒否」という悩みを聞かせていただきました。
昨今、多様性が重んじられる一方で、(いじめなんかによる)登校拒否や引きこもり、望まれない自殺なんかの問題を抱えている子供達の問題に対して考えさせられる機会になりました。
ということで今回は、昨今の学生の登校拒否について学歴を重んじない僕が思うこと、という記事をお届けしたいと思います。
僕の学生時代の過ごし方。
僕は小・中・高校と一貫してサッカーを続けていて、休みという休みは全てサッカーに捧げていたような記憶があります。(遊びに行ったという記憶がほとんどない)
そんな学生時代を振り返った時に、僕自身は「学生時代だからこそ夢中になれることに取り組んでいて良かった」という想いが強かったんですよね。
要するに、いつだって出来る「家で1人でゲーム」とか「アルバイト」といった様なことではなく、学生だからこそ(働かずとも)出来る部活動なんかに時間を費やして来たことが、自分にとって大きな財産になっていたと感じるということです。
いつでも出来ることと学生だからこそ出来ること。
で、色々と問題はあると思うのですが、僕が学生にメッセージを届けるとしたら「学生だからこそ出来ることを全力でやってほしい」ということを絶対に伝えると思うんですよね。
よく若い子には話すんですが「大人になってからのミスは子供の頃のミスとは分けが違う」ということで、学生時代に起こった選択ミスやチャレンジの失敗なんて、人生単位で考えた時にかすり傷ですらないということなんです。
そんな状況で「将来のために貯金する」といってアルバイトを始めて、時給1000円ちょいくらいで働き詰めになることよりも、部活動に全力で打ち込んだり、海外留学をしたりす行動選択をする方が何倍も価値が高いんですよね。
だからこそ僕は、いつでも出来ることと学生だからこそ出来ることをしっかり仕分けしてほしいなってことをを伝えたいんです。
登校拒否について思うこと。
そんな中で、どうしても起こってしまうことの1つが「登校拒否」だと思うんですが、僕自身も引きこもりの経験があったり、僕の弟が登校拒否だったりした中で色々と思うことがあるんですよね。
で、大概の原因は「人間関係」の中で、その先にあるの「(人間関係のことを踏まえた以上に)学校に行く理由を見出せない」ということが問題なんだと思います。
要するに、登校拒否のカジュアル層に関しては「我慢してまで行く理由が分からない」ということで、より人間関係の問題大きい人は「行きたくても行けない」という問題を抱えているんだと思います。
その結末の先には、僕が最も重要だと感じている「学生だからこそ出来ることの機会損失」があると感じている中で、それをどうにかして明るいものに出来ないかということでアドバイスさせていただきました。
一般的なやるべきこととは自分のやるべきことじゃない。
僕は学生時代で何が楽しかったかを聞かれた時に「部活動」だと答えると思うんですが、一方で授業の時間は楽しくなかったのかと聞かれたら、半分YESで半分NOだったんですよね。
そこで授業の部分が全てつまらなかったら学校に行くのが苦痛で仕方なかったんですが、それを補っていたのは「部活動」であり、楽しくなかった授業を補っていたのは「こっそり隠し読んでいた漫画」でした。
決して良くないアドバイスかもしれませんが、僕は勉強なんてしても意味がないと思っていたので、授業中は漫画を読んだり居眠りをしたりして過ごしていて、そこでのエネルギーを部活動に全てぶつけていたんですよね。
「やりたいことだけをやるための余力」みたいな部分を、自分がストレスなく楽しめる状況を作っておくことも、1つの登校拒否への対策になると僕は思います。
本来は楽しい思い出を紡いでいく場所を、可能な限り楽しいものに出来るように「勉強」というものがオプションでしかないということを前提に、「やりたいと思えること」に全力になれる環境を作ってあげてほしいなと思います。
一緒に頑張りましょう。
では、また明日。