都市伝説のような戯言がそうじゃなくなっている世界。
おはようございます。FOURTEENのコウタです。
京都を拠点にフリーランスデザイナーとして活動しており、毎日休まず続けている、ランニングやブログを通じて感じた「継続は力なり」の大切さを発信したりしています。
京都を拠点に完全独学のフリーランスデザイナーとして活動し9年目。2016年から禁煙をキッカケに始めた毎日ランニングは2,570日、毎日ブログは1,340日を突破。(2023年12月31日現在)
以前から、いろんな人と会話をしている中で感じることがあって、それは「都市伝説が都市伝説じゃなくなってきた」ということなんですよね。
これまで僕はそういうのが好きで、テレビ番組やYouTubeとかで好んで見てた部分があったんですが、人にそれを伝えても変に思われない世界がやって来ました。
ということで今回は、都市伝説のような戯言がそうじゃなくなっている世界、というお話をしたいと思います。
2024年が始まって早々おかしな世界。
皆さんは、ここ最近の世界情勢を見ている中で「おかしくない?」と思うことってありませんか?
新年早々の能登半島で地震があったり、旅客機の事故があったり、「はしか」で入国規制的な報道があったり、週刊誌の暴走があったり、ちょっと日本(というか世界が)おかしいなって僕は思ってるんですよね。
そんな世界の目に見えない波長のようなものを僕が感じているのか、なかなか思うように生きていけない苦しい時期のように僕はひしひしと感じています。
少しずつ世界が変化してきたここ数年。
そういう波長のようなものを僕が感じ始めたのは「コロナ襲来」の頃で、あの頃からなかなか人が人らしく生きられなくなってくるというか、そんな感じを感じ始めたんですよね。
僕自身もそうですが「君、コロナじゃないよね?」みたいな感じで人を疑うことが当たり前になったり、そんな潜在的なレベルで人間不信になったりとか、生きづらい世の中にはなって来ましたよね。
人々が気付かないような繊細なレベルで少しずつ世界が変化してきたここ数年の中で、僕自身は大きな脱皮が必要なんだと痛感させられる日々を過ごしていました。
今まで信じてたものが信じられなくなる感覚。
冒頭でもお話ししましたが、「都市伝説が都市伝説じゃなくなる」ということはイコール、今まで信じてたものが信じられなくなるということでもあるんですよね。
それは、この社会に起こっている当たり前が当たり前じゃなくなるということでもあると思うんですが、この時代の変化についていけない「人」も全く同じことなんだと僕は思っています。
時代が変われば人が変わり、人が変われば付き合いも変わるという感覚は少なからずあって、僕は少しずつその変化に気付いて来た中で苦しんでいたということです。
新しい自分を受け入れて変化を恐れずに進んでいく。
僕はここ数年、これまで自分自身が当たり前だと思っていたことが崩れることに辛さを感じ「何で皆んな変わっちゃうんだよ!」ってことを伝え続けて生きていたような気がします。
でも、それをやり続けていたところで「変えられない」ということに気付いたのと同時に、大きなものではなく、小さな部分でもその影響を少しすら与えられないことに気付きました。
そんなこんなで僕は疲弊し続け、アルコールに逃げ、自分を鼓舞しているようで自分を蝕んでいる自分が頑張っていることに勘違いしてしまってたんですよね。
本当はもう限界だったのに、限界だった自分を認めずに突き進んで来た結果です。
ただ、もう僕はそこに抗うのはやめたし、この時代の変化に疲弊している人達と共に、目の前の大切な人(だけと言っても語弊がないくらいに)を大切にしていこうと決めました。
皆さんも、疲れてしまったら終わりなので、自分を大切に生きてくださいね。
一緒に頑張りましょう。
では、また明日。