電車で席を譲るのは席を譲るのが億劫だから立ち続けることの違い。
本ブログではアフィリエイト広告を利用している可能性があります。
2888 1668

電車で席を譲るのは席を譲るのが億劫だから立ち続けることの違い。

2023.10.18
2023.10.16

おはようございます。FOURTEENのコウタです。

京都を拠点にフリーランスデザイナーとして活動しており、毎日休まず続けている、ランニングやブログを通じて感じた「継続は力なり」の大切さを発信したりしています。

京都を拠点に完全独学のフリーランスデザイナーとして活動し8年目。2016年から禁煙をキッカケに始めた毎日ランニングは2,195日、毎日ブログは975日を突破。(2022年12月31日現在)

昔から、電車に乗っているとすごく疑問に思うことが沢山あって、今日お話しすることはその中の1つのことになります。

それは「席を譲る」という行動に関してで、電車に乗るたびにいつも自分の人生と照らし合わせて考えていることがありました。

ということで今回は、電車で席を譲るのは席を譲るのが億劫だから立ち続けることの違い、についてお話ししたいと思います。

スポンサードサーチ
スポンサードサーチ

電車で席を譲るのとそれを想定して立ち続けていることの違い。

僕は基本的に、電車に乗っている時に(どれだけ重い荷物を持っていても)席に座ることはないんですが、その1つの理由は「席を譲るのが面倒だから」ということがあります。

高校時代の時にサッカー部に入っていて、そこで監督から「お前達は学生なんだから他のお客さんが乗って来たら席を譲りなさい」と言われていたことがあったんですね。

で、僕は高校時代のそういう経験の中で「よかったら座ってください」と声を掛けに行くのが恥ずかしく、その行動自体が億劫に感じることが多かったので、そもそも席に座らないというスタンスでいました。

要するに「席を譲気持ちはあるけどそもそも座らないから譲る機会がない」ということで、これは「席を実際に譲った人」とどういう風に違うんだろう?みたいな変な感覚的なことを考えたりするんですね。

実際にやったという事実と頭の中で考えているという事実。

基本的にこういうことは「行動した人」が美化されて当然みたいな風潮があるのは、やはりその行動を実際に譲ってもらった人とその周囲の人がその事実を見ていたからだと思います。

ただ、譲った人よりも先に電車に乗っていた自分は「その席に座らなかったから譲れなかった」ということではあるんですが、頭の中では「譲るのは当然」と思っているとしたら、僕はそれって同じ様に評価されるべきだと思うんですね。

これは「席を譲った人を見た時に自分は席に座っていた」という人には当てはまらないことだと思うんです。

僕はこれらのことをどちらも「親切」だと思っているんですが、恩着せがましいとかどうこうということではなく、こういうことを頭の中で考えられることは大切だと思っているんですね。

誰かのための親切を予測してシミュレーションする。

今回僕がなぜこういう謎の構図を使ってお話をしたかというと、これはサービス提供者として持っておくべき感覚だと思っているからなんです。

要するに「誰かのための親切を予測してシミュレーションする」ということが大切で、席を譲った事実がどうこうではなく「譲るという行動を想定して今を動いているか?」が重要だということです。

例えば、友人を家に招いて食事を提供したとして、食べさせてあげたい料理を色々と準備するのはとてもいいことなんですが、そこで相手を普段から観察している中で「何を好んで飲んでいるのか?」とか「甘いものを普段食べる人か?」を考えたりすることですね。

僕は昔から、仕事先の人や友人との付き合いの中で「タバコの銘柄」や「普段飲んでいる飲料」などは記憶する様にしていて、それを想像して動くことが「親切」なんだと思っています。

サービス提供者として先の先を想定することの重要性。

僕が自分自身を自己評価する時に感じる特徴の一つが「先読み力」で、デザイン制作の中でも「これを余分に作ったら見やすくなるかな?」みたいなサンプルを作ったりするんですよね。

こういう能力があるのとないのとでは、相手に与える印象は雲泥の差だと思っていて、これはサービス提供者として誰もが持っていた方がいい感覚だと思っています。

普段の生活の中でも、対人で誰かと接するときにそういうヒントは沢山転がっていて、僕は普段からそういうトレーニングを遊びでやってたりします。

これ好きかな?とか思って準備しておいて、いざその瞬間が来たら「キタキタ!」と思って喜んだり、その瞬間が来なかったら「くそー」とか思って残念がったり、そんなことをしてる自分が好きだったりします。

もちろん喜んでくれる時は、相手は想定していないことであるので普通よりも一層喜んでいただけるので、そういう瞬間ってすごく嬉しいなって思います。

こういう根幹があるからこそ、僕は不器用でそこまで大きなデザインセンスはないかもしれませんが、サービス提供者を全うすることが出来ています。

一緒に頑張りましょう。

では、また明日。

WRITER
KOHTA FUKUI / Freelance Designer
KOHTA FUKUI
Freelance Designer