321と口ずさんで次のステップに進んでみようか。
おはようございます。FOURTEENのコウタです。
京都を拠点にフリーランスデザイナーとして活動しており、毎日休まず続けている、ランニングやブログを通じて感じた「継続は力なり」の大切さを発信したりしています。
京都を拠点に完全独学のフリーランスデザイナーとして活動し8年目。2016年から禁煙をキッカケに始めた毎日ランニングは2,195日、毎日ブログは975日を突破。(2022年12月31日現在)
帰りたいけど帰れない、進みたいけど進めない、そんな感情が渦巻く闇の中での生活が僕にはありました。
見たくもない現実を目の当たりにして信じてたものが信じられなくなって、一方で新しい優しさや、これまで見えなかった愛に触れることが出来ました。
ということで今回は、321と口ずさんで次のステップに進んでみようか、というお話をしたいと思います。
Index
神様はここまでの感情を僕に背負わせようとしていたのか。
正直に話せば僕はここ数年間、自分が自分じゃないような感覚を持って生き続けていて、巻き起こる沢山の「初めて」の中で本当の自分を守り続けてきました。
正解なのか不正解なのか分からない「初めて」の中で、これが本当の自分だと信じ抜いたり、罪悪感や虚無感を押し殺して、それを「充実」とか「勉強」といった言葉に置き換えてました。
時には自分の命さえも無くなってしまえば良いのにと、世間一般でいう良からぬことを考えたことは何度もありましたが、僕が今こうしてブログを書いているということは「そういうこと」なんだと思います。
神様は越えられない試練を与えないということが本当だとしたら、神様は僕がここまでの感情を背負える器の人間だと見込んでくれたことを誇らしく思います。
踏み外したと思ってた道の先には変わらない笑顔があった。
そんな自暴自棄でどうしようもないと感じていた時間を過ごしたが故に、これから新たに道を開拓しないといけないと覚悟を決めていました。
要するに、全てを捨てた新たな人生のスタートという状況です。
ただ幸せなことに、そんな自分ではクソ人間だと思っていた僕の周りからは、僕が大切だと思う人はたったの1人も離れることはなく、いつもと変わらない笑顔を僕に見せてくれていることを感じます。
僕が分け隔てなく注いだ愛情や自己犠牲の気持ちは、少なからず今も僕の身体から滲み出ていてくれていたようで、心が救われた気持ちになりました。
地に足が付いていない中で必死に目を閉じて感じた感情。
僕はどうやらいつまで経っても「奉仕」を最優先に考えてしまう人間だということをつくづく思います。
自分の命と引き換えに、僕自身が大切だと思う人が幸せに過ごせることがあるのであれば、僕は喜んで自分の命を捧げる覚悟が出来ています。
ただ世間は「死ぬことは無責任なことだ」というけれど、それを偉そうに言うくせに誰ひとりとして最後まで責任を負ってくれる人がいないという事実。
そんな中でも、自分の親が逝くまでは「口では自由を言ったとしても生きる」と決めて、これまでの(色んな意味での)貯金を切り崩しても生き抜くことを決めました。
321と口ずさんで次のステップに進んでみようか。
周囲の人間からは「優柔不断」だとか「優しすぎる」だとか言われ続けて来ました。
でも僕はそれを「優しさ」だと思ってました。
結局それについての答えが出ることは無かったんですが、その答えに至るまでの期間に僕が経験したことを「必然」と思えるまでやって来ました。
決して簡単な道ではなかったですし、また友達からは「冷めてるな」とか「目が死んでるな」って言われそうですが、僕はそんな時こそ投げやりじゃなく冷静でいられると思っています。
123って感じで一段ずつ登っていく感じじゃなかったけど、3月21日、321って感じに沈むだけ沈んだけど、その沈みを助走にして次のステップに進んでみようか。
確実に追い風は吹いていることを感じていて、それは僕にとっての神風であり、沈んだ分だけ高く飛べるし、遠くまで運んでくれる。
そう信じて僕はこれまでの人生通り、自分の直感を信じて走り続けます。
一緒に頑張りましょう。
では、また明日。