なんとかなると心に言い聞かせてなんとかして来た人生の中で。
おはようございます。FOURTEENのコウタです。
京都を拠点にフリーランスデザイナーとして活動しており、毎日休まず続けている、ランニングやブログを通じて感じた「継続は力なり」の大切さを発信したりしています。
京都を拠点に完全独学のフリーランスデザイナーとして活動し8年目。2016年から禁煙をキッカケに始めた毎日ランニングは2,195日、毎日ブログは975日を突破。(2022年12月31日現在)
今という現実だけを見てみれば、言い訳出来ないほどにどうしようもない生活を送っている人達って少なからずいると思うんです。
それが自分だけが原因なのか、自分以外の何かも原因なのかは分かりませんが「好きな自分」と常に一緒にいれる訳ではありません。
ということで今回は、なんとかなると心に言い聞かせてなんとかして来た人生の中で、というお話をしたいと思います。
なんとかなるが座右の銘だった10代。
小心者のくせに怖いもの知らずというか、尖って喧嘩っ早かった10代の頃の僕。
決して不良で喧嘩していたという感じではなく、基本的には小学生からやっていたサッカーの中での自分ではあるんですが、今では想像出来ないほどに負けん気が強かったなと思います。
どんな時も根拠の無い自信に満ち溢れていて、それでいて心のどこかでは不安でというのは今も同じなんですが、恐れ知らずという感覚で果敢に相手に突っ込んで行っていたのを覚えています。
大人になった今の自分には少なくなってしまった感覚ではあるんですが、どんな時も「なんとかなる」という座右の銘の元、常に人を寄せ付けないオーラを持っていました。
記録より記憶にが座右の銘になった20代。
そんな中での20代、スポットライトを浴びていた10代とは一転して「影の人」となった自分自身にとっての座右の銘は「記録より記憶に」変わっていました。
綺麗でカッコいい言葉に聞こえるかもしれませんが、当時の僕は劣等感の塊でそれでも「いつか見てろよ」って思いを持って、叶うかも分からない夢を追って闇の中を突き進んでいました。
光を浴びていた場所から、縁の下の力持ちみたいな存在に移り変わる葛藤の中で、僕の表現は僕自身ではなく作品で、そこに記録はないけれど関わった人の記憶にだけは残りたいと思うようになったんだと思います。
今では素直にそういう風に思えるようになりましたが、当時はなけなしのプライドを表現するために「記録より記憶に」を座右の銘にしていたんだと思います。
誰かの笑顔のためにが座右の銘になった30代。
そんな自分の尖りを丸く削られて来た20代を経て、僕は10代の頃に思い描いた「誰かの笑顔のために」という生き方を少し理解することが出来るようになって来ました。
30代を迎えた僕は、心の底から自分自身の幸せをある意味で捨てることが出来るようになって、「誰かの笑顔のために」を座右の銘にすることが出来るようになりました。
行動の動機はいつも「自分がどうしたいか」には変わりはないものの、その目指す方向には「誰かが笑顔になるか」ということで、自分だけが笑顔になる場所に一切の魅力を感じることはなくなりました。
自分の為に物を買ったり、色んな形でお金を使ってみたりした中で、それはより明確に落とし込まれていくことになり、ここ数年の経験を経て僕のその想いはより一層強いものになったことを確認することが出来ました。
自分だけが幸せになりたい人に僕は興味がない。
「自分を守るためだけにに怒る」とか、反対に「人のために怒れない」といった自分のことしか考えない人に自然と興味はなくなって来て、気付けば僕の周りには人の笑顔のために動く人しかいなくなっていました。
そんな時に、僕自身が何かに縛られていて、何かにストレスを感じ続けていて、それが原因で「誰かの笑顔のために」という行動が制限されてしまっていることに気付きました。
このままの人生で良いのかと思い悩んだり、一方で自由を手にした時に僕はどれだけの笑顔に出会うことが出来るだろうかという漠然としたワクワク感もあったり、そんな中で少し(どころじゃないけど)荒れた期間を過ごしたんですね。
ただ、自分本位の思考に偏ったりした時期があった中でも唯一ブレなかったのは、どんな状況下でも「人の笑顔のため」に動ける自分でした。(それを自暴自棄だと思った瞬間もありました)
そこで僕にスポットライトが当たらなくても、誰よりも地味なことを、誰よりも思いやりを持って、誰よりも早く駆けつける「記録より記憶に」残る人でいたいという想いも、もちろん継承されています。
そしてこれから、不安を持ちながらも、それ以上に期待を膨らませて新しい環境に飛び込む自分自身は大きく変わる必要があると思います。
そんな時には「なんとかなる」と心に言い聞かせて、また10代の頃のようなギラギラとした思いを持って、自分自信をより強く研ぎ澄ましていけるように頑張りたいと思います。
一緒に頑張りましょう。
では、また明日。