自分の努力がもたらす未来への影響について深く考えるべき理由。
おはようございます。FOURTEENのコウタです。
京都を拠点にフリーランスデザイナーとして活動しており、毎日休まず続けている、ランニングやブログを通じて感じた「継続は力なり」の大切さを発信したりしています。
京都を拠点に完全独学のフリーランスデザイナーとして活動し8年目。2016年から禁煙をキッカケに始めた毎日ランニングは2,195日、毎日ブログは975日を突破。(2022年12月31日現在)
1日の頑張りを疲労度で置き換えたとしたら、きっと全国の人が平等に頑張っているということになると思うし、それ自体の事実は全く持って嘘ではありません。
ただ、体力を消費するということだけにフォーカスしていては、それは僕の中では成長とは言い切れない部分があると思うんですね。
ということで今回は、自分の努力がもたらす未来への影響について深く考えるべき理由、についてお話ししたいと思います。
その努力がただの日常消費になっていないか。
もちろん向上心があるということが前提での話にはなるんですが、やっぱり成長を考えた時に向上心がなければ話にはならないですよね。
そんな中で、1日の疲労度だけでその日の頑張りを図っていては、その努力が未来に対してどういう影響をもたらしているかを知ることが出来ません。
酷い言い方をすれば「ただ疲れただけ」みたいな日常を過ごしていると、それは努力を積み重ねたというよりは日常を消費したということでしかないんですよね。
それに気付ける人がどれだけいるかと考えた時に、僕が知っている限りそこまで強い意識を持ってお仕事をしている人なんて滅多にいないのが正直な感想です。
日々を生きるということは現状維持でしかない。
ただ日々を生きるということも、もちろん歴とした素晴らしいことではあるんですが、この未来が不明確な今の日本において、現状維持だけではいずれ退化につながってしまうと思います。
何かしら行動を起こし続けないと新しいことに柔軟に対応する事はできないし、何かしらのヒントを見つけた時にアンテナを張っていないことにはそれにすら気付けないんです。
そういう意味で言えば、ただ日々を生きるということは現状維持でしかないというよりは、新しいが入って来た時にはもうすでに手遅れだったりすることもあるんですね。
そうならないためには、今自分が日常で疲労したその事実をいかに努力に移していけるかが大切で、それに対して僕は「考えること」が必要だと思うんですね。
未来につながる努力は何かを考えてみる。
僕の場合は基本的に働けば働くだけ技術が向上していくようなお仕事だったりもするんですが、そんな中でも現状維持で満足している仕事を繰り返していれば未来に対応する事が出来ません。
常に新しいボキャブラリー(引き出し)を自分の中に入れる為には、やっぱり新しいチャレンジを沢山する必要があるんですよね。
僕が仕事で選り好みをしない理由はそこで、そういう状況を必然的に作り出すことで成長を促しているという事があるんです。
雇われているとどうしてもお金の問題を解消した先に、向上心が生まれるということはなかなか難しいのかもしれないですが、「お金をもらいながら学ぶ」という意識を持った上でその頑張りがどういう未来につながるかを想像する事が大切です。
頑張るは当たり前だからこそ効率的に生きるために。
そんな風に考えた時に「頑張るは当たり前」ということになって来るのは考えれば分かると思うし、考えないと無意味な時間が沢山増えてしまうということになるんです。
いかに考えてやるという事が重要かという事が分かると思うんですが、成長しない人って基本的には頭を動かしてないんですよね。
冒頭でもお話ししたんですが、1日の頑張りを疲労度で置き換えているだけの人はホントに要注意で、今自分がその疲労を伴う行動をした先に何の学びを得たかを整理する必要があると思います。
僕の場合は、(最近は病みブログがちですが)こうやって毎日のように自分の気持ちを整理するためにブログを書いていることが、その学び定着させることにも繋がっていたりすると思います。
生きるために頑張るは当たり前ということの中で、その努力を無駄にせず効率的に生きた方がいいに決まってるので、1日1回は自分自身と向き合う時間を作ってみてはどうでしょうか。
一緒に頑張りましょう。
では、また明日。