デザイン知識ゼロだった僕がフリーランスデザイナーとして個人事業主になった理由
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デザイン知識ゼロだった僕がフリーランスデザイナーとして個人事業主になった理由

2019.07.26
2019.07.17

どうも、コウタです。

皆さんは、今の仕事にいつから就きたいと思いましたか?また、就きたいと思った理由は何ですか?

僕はフリーランスデザイナーとして活動し始めて4年が経過し、最低限の生活を送ることが出来るようにいなりました。

継続してきたからこその人脈でお仕事を頂くことはもちろん、最近ではクオリティを認めて頂いた上でお仕事を頂けることも増えて、フリーランスデザイナーと自信を持って言える仕事となりました。

でも実は僕、約5年前(当時24歳頃)までデザイン知識ゼロだったんです。

Life is an exciting business and most exciting when it is lived for others.
人生は刺激に満ちた仕事ですが、もっとも刺激的なのは、人のために生きるときです。
Helen Keller(ヘレン・ケラー)

皆さんの人生を決めるキッカケはどんなものでしたか?

僕がデザイナーになった理由は、ヘレン・ケラーの言葉にもあるように、人の為に何らかの形で力になれることが、自分自身の存在価値を作るという、献身的な気持ちを抱くようになったからです。

今回は、僕がデザイナーとして活動するに至ったストーリーから、これから夢を目指す人たちの何かのキッカケになれればと願います。

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なぜ就職の選択をせず、最初からフリーランス(個人事業主)の未来を選んだのか?

例えば、同じ職場の同僚が、自分と同じ給与で、自分よりも能力が劣っていたり、気付かれない様に怠慢を繰り返していたりすることが日常的にある事実。

こういった事実を管理しきれていない会社の問題や、特徴を出せずに機械化して人として良い意味で差別化もされない状況。

仕事の話をすれば不満以外のことを聞くことは珍しく、人生の大半を占める労働に楽しいというイメージを持っている人は僅かという現実に対し、そんな人生で終わるのは嫌だと反骨心を抱いていた。

理想と現実がうまく噛み合わなかった学生時代

高校卒業前、これといって夢や希望は持っていたわけではなかったけれど、昔からコンピューターを使うことや物作りに興味があったため、その先の仕事のことは考えず、自分のスキルを磨くためにコンピューター系の専門学校への進学を希望した。

当時は四年制大学から優良企業への就職が黄金ルートだったこともあり、四年制大学以外の進学を両親から反対され、全く興味の無い状態で経済系の四年制大学へ進学。しかし1年後、大学に行く理由を見出すことが出来ずにお金を無駄にしてしまったことに傷心し自主退学。

人や社会から逃げて引きこもった半年間から芽生えた純粋な気持ち。

目的を完全に見失い、未来が見えない人生に不安を感じた。そんな自分自身に嫌気がさし、約半年間は部屋から出ることや人に会うことを拒み、ひきこもりの生活をすることになった。

部屋でひたすら自分自身と向き合う毎日で…

一体なにが正解で不正解なのか。なにを理由に自分自身はこれからの人生を歩んでいくのか

考えてはいけないことも考えるようになる中で、ふと幼い頃の想い出の中で、おばあちゃんを驚かしたり、笑顔にしようと必死に色んなことを試行錯誤する情景が浮かんだ。そんな中で出た「人の為に何かの形で力になることが、自分自身の存在価値を作る」という答えだった。

自分の行動で人が笑顔になる瞬間を、最高の瞬間だと思える自分がいることに気付いた。

重なった試練で得た生きることへの実感。

そんな時期に起こった家族のトラブルにより家族の心は分裂し、自分は家族のために自分の人生を犠牲にすることを決意した。

具体的には言えないが、約1年半の間休むこと無く働き、自分にもらえた収入は合計で約10万円という労働生活を過ごした。

この生活から解放された時に味わった達成感は、絶対にお金では買えない経験であることを実感した。

それと同時に、生きていることの素晴らしさ、当たり前という幸せ、日々の努力や我慢は必ずいつか報われる日が来るということ実感。そして、絶対に諦めない強い気持ちを持つことの重要性を教えてくれました。

現代の「やりたくないことからは逃げろ」という考えに反している訳ではなく、自分の意思や行動次第でその未来は違ってくると僕は伝えたいです。

この世界には自分と同じ境遇や、それ以上の人間が山ほどいる。

自分のこの経験で、同じ様な境遇(自分自信を不遇に思う・人間不信・自暴自棄を感じている人)の人が他にも絶対に沢山いるんだと感じた。そして、そんな人へ何か力になることが出来ないかと考え始めた。

反骨心から、人と違う道を模索して見つけたのはシンプルな愛でした。

大きなことをしなくても良い。近くの人の心を動かせ。

自分自身の想い(メッセージ)を発信し、諦めずに夢を追い続ける自分の姿を見せ続けることが、そんな人たちの心を動かせると信じる様になりました。

口下手だった僕は自分のメッセージをデザインに込めて発信する活動を開始。

完全に独学ではありましたが、その活動の中で身についたデザインのスキルが、一般的なデザイナーのレベルに近付くことが出来ていく中で少しずつ業務依頼が入る様になりました。

夢の為に突っ走ってきた活動が仕事として認められて来たことを少し実感し、夢と共に生きる喜びを感じてフリーランスとして個人事業主になることを決意しました。

自分を信じて行動し、未来をカタチにしていく。

献身的な想いで始めた活動は、形として起業することになりましたが初心は忘れていません。

過去の経験を忘れることなく、これからも沢山の人に勇気を与えられる様に、夢や希望を絶やさずに努力を続けています。

営業・受注・納品・経理の全てを自分自身で行う大変さはありますが、全ての喜怒哀楽を直接肌で感じることが出来るフリーランスという誰しもが経験出来ることではないこの生き方に誇りを感じています。

理不尽な社会への反骨心が、生き甲斐と感じるものへ昇華した

それが僕の幸せだと思える今があるキッカケ。

最後まで読んで頂きありがとうございました。

では、今回はこれで終わります。

WRITER
KOHTA FUKUI / Freelance Designer
KOHTA FUKUI
Freelance Designer