僕以外の全ての人が幸せであることが僕の幸せでありますように。
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僕以外の全ての人が幸せであることが僕の幸せでありますように。

2022.10.29
2022.10.29

おはようございます。FOURTEENのコウタです。

京都を拠点にフリーランスデザイナーとして活動しており、毎日休まず続けている、ランニングやブログを通じて感じた「継続は力なり」の大切さを発信したりしています。

京都を拠点に完全独学のフリーランスデザイナーとして活動し7年目。2016年から禁煙をキッカケに始めた毎日ランニングは1,830日、毎日ブログは610日を突破。(2021年12月31日現在)

10月に起こった様々な出来事は、ここ数年の中で僕にとって最も大きく濃いことばかりで、僕自身を良い意味でも悪い意味でも強く冷たくして行きました。

「何も怖くない」と思えばウソになるかもしれないけど、それくらい色んなものを捨ててしまえるような状況に今僕はいます。

ということで今回は、僕以外の全ての人が幸せであることが僕の幸せでありますように、というお話をしたいと思います。

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色んな苦痛を乗り越えた先にあったもの。

不義理っていう言葉だけでは片付けられないほどの継続的な苦痛を、僕はここ数年間(いや下手したら十数年間)味わい続けて生きて来ました。

時には誰かに助けを求めたりもしましたが、結局そこで手を差し伸べてもらえるような存在には巡り合うことは出来ず、ずっと1人で抱え込んで生きています。

もうそれが当たり前の人生になってしまうのかと半ば諦めてしまいそうになった時に、そんな肩の荷が一気に降りたのかただ揺さぶられたのか分からない出来事が立て続けに起きて、僕は少し燃え尽きてしまったのかもしれません。

達成感というものとは程遠い「お前はよく頑張った」という虚無感みたいなものと一緒に息をしています。

優しいという言葉だけでは片付けられない人生。

僕はよく「中途半端だね」と言われる一方で、「優し過ぎるよね」って言われることが多かったりします。

それもそのはず「自分の意志」みたいなものがないので、基本的に自分が動くということが一切ありません。

僕が優しいというよりは、人を主導で動いてしまうことがほとんどなので、自動的に人のために動くマシーンのような感じになっていて、何をしても「優しい」という風になってしまうわけですね。

その結果、尽くして尽くして、自分が想像したリアクションがなければ苦しんで、時には人の笑顔に助けられて生きていたりします。

報われない時が多いのにも関わらず笑顔を見ていたい不思議。

僕の人生は、正直報われないことの方が多いです。

というよりは、お仕事に関してはほぼ全て報われて来た人生なんですが、如何せんプライベートの方が全くダメダメで、いつも周りに巻き込まれてしまってうまく行きません。

正直これまでの人生で、プライベートに関して完全に満たされたタイミングっていうのはほとんどなく、ずーっとしんどいといった表現が正しいかなと思います。

だけど自分の行動の主体は自分以外の誰かで、報われない中でもやっぱり誰かの笑顔を見ていたいと思うのが自分でも不思議なんですよね。

でもこれは僕の人生においてずっとつきまとっていくことなんだと思います。

僕以外の全ての人が幸せであることが僕の幸せでありますように。

そう考えた時に、僕の人生は僕以外の人で創られてるとしか考えられなくて、自分の欲望を出してしまった時にこそ僕はしんどくなってしまうことに気付きました。

僕はその感覚を「無常(人の世がはかないこと)」と呼んでいて、そんな無常の中に自分の幸せを探して生きているのが僕という存在です。

自分が嬉しいこと、楽しいことがなかったら生きてはいけないと思う中で、それを得てしまうと虚しくなってしまうような感じもあって、難しい生き方をすることしか出来ません。

そんな時に僕が心の中で念じることは、「僕以外の全ての人が幸せでありますように」ということで、続けて「それが僕の幸せでありますように」という風になれば良いなと思っています。

「僕以外の全ての人が幸せであることが僕の幸せでありますように」ということを僕のこれからの人生のテーマとして、これからも前向きに頑張っていけたらと思います。

一緒に頑張りましょう。

では、また明日。

WRITER
KOHTA FUKUI / Freelance Designer
KOHTA FUKUI
Freelance Designer