僕の耳に入ってくる時点の依頼が「誰の想い」を背負っているかを考える。
おはようございます。FOURTEENのコウタです。
京都を拠点にフリーランスデザイナーとして活動しており、毎日休まず続けている、ランニングやブログを通じて感じた「継続は力なり」の大切さを発信したりしています。
京都を拠点に完全独学のフリーランスデザイナーとして活動し7年目。2016年から禁煙をキッカケに始めた毎日ランニングは1,830日、毎日ブログは610日を突破。(2021年12月31日現在)
先日、とある打ち合わせに参加していた際に、「お客さんの想い」をうまく汲み取れていない瞬間があり、且つ、その想いを抑制するような状況であったことに気付きました。
色んな理由がある上での「セオリー」は存在する中で、そのセオリーをいかに保ちながらオリジナルを作るかが僕たちクリエイターの仕事だと僕は思っています。
ということで今回は、僕の耳に入ってくる時点の依頼が「誰の想い」を背負っているかを考える、というお話をしたいと思います。
デザインには「ルール」が存在する。
まず初めに、いつもこういったお話をする際にお伝えすることがあるのですが、デザイン制作を行う上で「ルール」というのはある程度存在するということを知っておいてください。
冒頭でお話しした「セオリー」にあたる部分なのですが、例えば「黄金比」や「白銀比」という言葉が存在するように、人間が潜在的に美しいと感じるルールが存在するんです。(モナリザやダビデ像なんかが有名です)
ルールが存在する上で「なぜ同じ作品ばかりが生まれていないか」を考えた時に分かるのが、ルールに沿った上でオリジナルを表現して来たからということなんですね。
仲介者が入ることで「仲介者のセオリー」に染まっていないか。
僕は仲介のお仕事が増えて来た中で、依頼者本人と直接話す機会がない中で制作を進めることに、少し違和感を感じるようになってきました。
何故なら、僕がやるヒアリングと仲介者がやるヒアリングでは「想像力」が違うからです。
例えばAさんが「〇〇がやりたいです!」といった中で、デザイン制作をする立場ではない仲介者の想像力を使った場合に、それがセオリーに当てはまらない(当てはめれない)ということが起こる訳なんですね。
僕はそこに居合わせて、同じようにAさんから「〇〇がやりたいです!」と希望された場合に、「じゃあこんな風に表現しましょうか?」と提案することが出来るかもしれません。
ただ仲介者がいる場合、僕の耳に入って来る段階の依頼にはその部分がどういう経緯で決まったかは見えておらず、もしかすれば「仲介者のセオリー」に染まっている可能性もあるということなんですね。
想いをカタチにするクリエイターとして僕が出来ること。
「仲介者のセオリー」なんてものは、めちゃくちゃ口の悪い言い方をすれば「可能性を消し去った素人の意見」であって、腕の良いクリエイターであればクライアントの想いを実現出来ることがほとんどだと思います。
クライアントさんの大切お金を対価としていただいてやるわけですから、僕はそういう「残念」を少しでも生みたくないし、だからこそヒアリングを1番大切にしています。
なので、ヒアリングする立場の人間は「デザインに詳しくないので〜」という言葉では片付けられなくて、「それならこんなデザインはどうですか?」を提案し続けられないといけなんです。
その引き出しが多ければ多いほど提案出来る組み合わせも増えてくるので、デザインをヒアリングをする立場の人間はより多くのデザインを学んでいないといけないし、相応の美的感覚をしっかりと持ってないといけないんですね。
それが「想いをカタチにするクリエイター」として僕がクライアントさんに対してまず最初に出来ることだと思うし、ほぼそこで勝負は決まって来ると言っても過言ではないと僕は思っています。
信頼している人間に「任せます」をいう勇気。
出来ないなら出来ないで、信頼している人間に「任せます」をいう勇気ってすごく大切だと思うんですね。
僕が言えるのは「福井さんどう思います?」と言われた時だけに言えるアドバイスだけで、現にそのアドバイスがほぼ100%クライアントさんから「なるほど」という納得をもらっているのが現状です。
その中で、実現出来ることと出来ないことがあるにせよ、それくらいの威力のあるメッセージを最初に伝えてあげないといけない訳なんです。
仲介者はあくまで「その人の意思を分かりやすくまとめて伝える人」であって、自分の表現力によって上限を設けてしまうことではダメなんですよね。
だからこそ「知ってる人間」がそこに立って受け止めないといけないし、それが自分には出来ずに荷が重いとなるのであれば、トータル的にクオリティや可能性を下げているだけなので、とっとと「任せる」という判断が出来ることが賢明です。
そういう部分でも「自分がやるより人がやった方がいいな」という想像が出来るのと出来ないのとでは雲泥の差なので、いいモノづくりをしたいのであれば自分の身の程をもっと理解するべきだと思います。
一緒に頑張りましょう。
では、また明日。