僕が「学び」に対してストイックになれる瞬間。
おはようございます。FOURTEENのコウタです。
京都を拠点にフリーランスデザイナーとして活動しており、毎日休まず続けている、ランニングやブログを通じて感じた「継続は力なり」の大切さを発信したりしています。
京都を拠点に完全独学のフリーランスデザイナーとして活動し7年目。2016年から禁煙をキッカケに始めた毎日ランニングは1,830日、毎日ブログは610日を突破。(2021年12月31日現在)
極めるという部分まではいかないにせよ、僕は「平均以上程度」の知識を持っていることが結構多かったりします。
「他業種でお仕事をしている都合で人から話を聞いて…」という訳ではなく、基本的には自分で学ぶことが多いんですね。
ということで今回は、僕が「学び」に対してストイックになれる瞬間、についてお話ししたいと思います。
意外と選り好みしない幅広い知識を持っている。
クリエイターとなると、ちょっと変わった人が多いと思われていることが多くて、食生活で言えば「偏食」みたいな感じの知識量と思われることが多いんです。
ただ僕の場合は基本的に「超凡人が頑張ってクリエイターになった」という感じの人なので、意外と選り好みしない幅広い知識を持っていたりします。
「知識量 = ボキャブラリー」だと思っているので、少しでも何かのキッカケになればと思って意外と1つのことを学ぼうと思ったら平均以上まではトコトン学ぼうと努力するのが、皆さんに見えていない部分の僕だったりします。
僕が何かを学ぼうと思うキッカケ。
一方で「自分がやることに興味がない」という僕が、どういうキッカケで新しいことを学ぼうとするかというと「人にやってあげたいと思ったこと」が基準なんですよね。
例えば「料理」を学ぼうと思う時って、僕ひとりだったら「鶏胸肉とゆで卵とブロッコリー」みたいなレベルで毎日やれるんですが、人と食事を共有するってなったら話が別なんですね。
「出来るだけ美味しいものを食べさせてあげたい」みたいな思いが先行するので、次々に新しいレシピを取り入れようという意欲が湧いてくるわけです。
あとは、例えば誰かに何かをプレゼントするとなった時に、その物の良さを自分自身が理解出来ていなかったら自信を持って勧めることって出来ないですよね。
なので、この人にこれをプレゼントしたいって思った時に、僕はまず自分自身にその知識を入れて、もし「どうやって使うの?」とか「何がいいの?」と聞かれて答えられるような知識は持っている状態にしています。
「知識量」がもたらす人生への影響。
僕はクリエイターという立場なので、例えば「デザイン関連」とか「WEB制作スキル」とか、そういったトレンドさえ押さえておけば十分といった部分もあったりする風に思われることが多いんです。
ですが、どんなコンテンツ制作をする時にも「〇〇 × 〇〇」という感じに掛け合わせることで新しいものが生まれるわけですね。
そういう意味で、知識量の多さがいつ何時新しい組み合わせに繋がるか分からないことがあるので、広く浅くだとしても学んでおくことが重要だと感じています。
またその知識は、人生単位でも色々な組み合わせが出来るという点でも同じで、組み合わせられずともシンプルに会話の引き出しとして繋がっていくので、知識量は多いことに越したことがないんですね。
「人を笑顔にしたい」が僕をストイックにさせる。
基本的に僕は「自分のこと」に興味がなくて、そもそも滅多に外に出ないもんですから、良い服を着たいとか、良い車に乗りたいとか、正直1ミリも興味がないんですよね。
朝起きればすぐにパソコンの前に座って仕事をスタートして、それを朝から晩までずーっと365日繰り返すだけの日々。
ハッキリ言って僕自身のランニングコストなんて普通の人の半分以下くらいしかかからないし、本気で節制している時の僕ってご飯とかもすごく単調でつまらないことこの上なしなんですね。
それでも普通に満足出来るような僕にとって「自分のこと」に関しては全然努力が出来ないので、やっぱり「誰かに何かしてあげたい」って思うような瞬間に学ぼうと思う気持ちが湧いて来るんです。
そういう自分は嫌いではないので、やっぱりこれからも「人を笑顔にしたい」という気持ちが自分自身をストイックにさせるような感覚を持って、色んなことを吸収していけたらと思います。
一緒に頑張りましょう。
では、また明日。