「依存する」ということに打ち勝つ方法。
おはようございます。FOURTEENのコウタです。
京都を拠点にフリーランスデザイナーとして活動しており、毎日休まず続けている、ランニングやブログを通じて感じた「継続は力なり」の大切さを発信したりしています。
京都を拠点に完全独学のフリーランスデザイナーとして活動し7年目。2016年から禁煙をキッカケに始めた毎日ランニングは1,830日、毎日ブログは610日を突破。(2021年12月31日現在)
先日も、依存って怖いなって話をしていて、僕は過去にそれを「タバコ」で経験していたんですよね。
で、きっと他にも色んなことに僕らは依存していて、それがあって当たり前と思い込むことで、色んなことに蝕まれてしまっていることがあると思います。
ということで、「依存する」ということに打ち勝つ方法、についてお話ししたいと思います。
僕が「超理屈的」な人間だからこそ。
「依存」っていうのはホントに怖いですね。
僕はこう見えて超理屈的な人間なので、感覚的に言われても分からない反面、一方で感覚的に動いてしまうポンコツさを持ち合わせています。
怖いということが分かればコントロール出来るけど、「大丈夫だろ若ぇし!」を続けると知らないうちに破綻してしまうことも知っています。
実際自分が経験した「タバコ」や「アルコール」がそうだったし、同じようなそういった薬物と戦っている人達もいることを知っています。(皆さんも気を付けて)
ただ、分かっていても依存してしまうのが怖いところで、そういう部分と戦い続けて生きないといけない宿命があるのは自分に非があったからだと時には罪悪感を感じることもあるんです。
何かに依存してしまっている状態とは。
きっと何かに依存してしまっている時は、多くの人はそれに気付かないことが多いと思うんですが、正直な話「なくても大丈夫なのに楽に流されている」ということが言えると思います。
その時は楽しいからやってて、で、その楽しいが消えた時に「楽しいはずなのに楽しくない状態」みたいなものがあって、それに対して代償があるなんてことは正直なところ自業自得なんですよね。でもその時自分は気付いてない。
何かに依存して感覚がマヒってる時に、無理に痩せ我慢して、誰にも頼ることなく何を立ち続けようとしてるんだよって考えると、それってその人の強さだと思う反面、人に頼れることもそういう意味では強さなんだろうなって思います。
ホントに人ってバカですよね。
依存によって何かを失ってしまう前に。
で、僕はそういう瞬間に思うようにしてるんです。「俺らが苦労して積み重ねて来たものをそう簡単に取り込まれる権利はない」って。
依存してしまう人って、別に「楽したい人」じゃないんですよね。少なくとも僕はそういう風に思います。
ただ甘えて、ただ逃げたくて、そんな弱い気持ちの持ち主が「誰か助けてくれ」なんて思わないと思うんです。
だからこそ、その人たちの周りには「大切な人」がいると思うんです。
その、今目の前にある大切な人と、その「依存」を天秤にかけてみることで、いかにどっちが大事かが見えてくるし、そういう時にこそ「自分は負けないんだ」って思えると僕は思うんですね。
失ったと思うものがあるなら今からでも取り戻せる。
で、その依存によって失ったと感じるものとかってやっぱりあって、その度に「罪悪感」とか「消失感」とか感じると思うんですよ。
ただ、僕は人生ってそう簡単に終わるものじゃないと思うし、もしも失ったと思う時間と金があるなら、これからの未来で取り返せると思うんですよ。
そこで楽に身を委ねるようなことがあったらそれこそ終わりで、そこで踏ん張れるかどうかは自分の信念次第で、僕はそんな軽い気持ちで人生を背負って行こうと思ってません。
自暴自棄になって、逃げ出したくなる時があるけれど、さっさと取り返しに行こうぜって思うし、だったらどう考えても時間は早い方が良いと思っています。
そう考えたら、逆にやる気が出て来ました。俺達なら出来る。
一緒に頑張りましょう。
では、また明日。