僕にとっての「謝罪」が、誰かにとっての「嫌味」に聞こえることがある。
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僕にとっての「謝罪」が、誰かにとっての「嫌味」に聞こえることがある。

2022.01.08
2022.01.08

おはようございます。FOURTEENのコウタです。

京都を拠点にフリーランスデザイナーとして活動しており、毎日休まず続けている、ランニングやブログを通じて感じた「継続は力なり」の大切さを発信したりしています。

京都を拠点に完全独学のフリーランスデザイナーとして活動し7年目。2016年から禁煙をキッカケに始めた毎日ランニングは1,830日、毎日ブログは610日を突破。(2021年12月31日現在)

僕はメッセージデザイナーという、言葉(メッセージ)を伝えることをテーマにデザイン活動をしていて、お客さんの心に響く何かを追い求めてお仕事をしています。

この世界には色んな人がいて、いろんなタイミングがあって、そんな中でより言葉って難しいなと感じることが多々あります。

ということで今回は、僕にとっての「謝罪」が、誰かにとっての「嫌味」に聞こえることがある、というお話をしたいと思います。

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1つ1つの言葉には確かな「意味」がある。

今の子供達は使わないかもしれませんが、僕らが小学生の頃には「国語辞典」という辞典を使って授業をすることがありました。(広辞苑の場合もあるのかな?)

分からない言葉があれば、それぞれ「あいうえお順」に並んでいるので、それをペラペラとめくって探して、誰が1番にその言葉を見つけられるかを競い合う授業をしたことが懐かしいです。(今はネットで検索した方が余裕で早いけど)

で、例えば「」って言葉の意味を調べたら『かわいがる。いとしく思う。いつくしむ。いたわる。』みたいに出てくると思うんですね。

こうやって言葉には、1つ1つ確かな「意味」があって、僕らは日本人としてそれを学び、その決まりになぞらえて言葉を発してると思います。

個々の感覚によって変わる言葉の意味。

ただ、言葉の意味がある程度決まっているとはいえ、個々の心情や置かれている状況によって、その言葉の意味が思いもよらない形で伝わってしまうことがあるんですね。

例えば、マラソンの授業をしていたとして、足が速いA君が、足の遅いB君にかける「頑張って!」って言葉をかけたとした場合、A君は心の底からメッセージを送っていてもB君はこれを「嫌味」と受け取ってしまうことがあるんですね。

これはその言葉に対しての受け手の感覚なんですが、こうなったらA君はB君を応援することが出来なくなっちゃうんです。で、こんな風に、感じ方がそれぞれ違うために、相手を応援しようというポジティブな行動がシンプルに出来なくなってしまうことがあるんですね。

言葉が思い通りに伝わらないことほど辛いことはない。

褒めても「貶し(けなし)」に聞こえて、謝っても「嫌味」に聞こえて、提案しても「根に持つ」に聞こえる。

そんな風なシチュエーションばかりを経験すれば、どんどんコミュニケーションが取れなくなってくるんです。日本に住んでいて、日本人と話ししていて、外国人と喋っているような、そんな感覚に陥ることもあります。

話したいし、伝えたいし、自分の思いを理解して欲しいだけなのに、いくら言葉を投げても全て違う意味で捉えられてしまう状況で、何を話せば伝わるのかが分からないループに入って、最終的には「話したくない」ってなってしまっている。

自分の心の中の感情から全て、全てそのままコピーしてメッセージを伝えることが出来たなら、どれだけ楽で、どれだけ悔しい思いをしないで済むんだろうって思うことがあります。

お互いの歩み寄り次第で言葉の意味が変わる。

言葉を伝える人が苦手な人、言葉を受け取る人が苦手な人、きっといると思うんですね。

ただ1つ考えられるとすれば、人って絶対にお互いを傷付け会いたくてコミュニケーションを取り合おうとはしないと思うんです。(喧嘩になって感情的になるような時以外は)

冷静に話ししている時に言う「ありがとう」って言葉が、相手を傷付けるための「嫌味」であることなんてありもしないのに、それを嫌味だと捉えてしまうのは受け手の歩み寄りが足りてないと思うんですね。

これは反対に、伝える側の言い方とか、そういう部分での歩み寄りが足りない場合もあると思うんですけど、コミュニケーションをしていく上で、そういう揚げ足の取り合いのようなことをしていても言葉のキャッチボールは出来ないんです。

僕の言う「ありがとう」は心の底からの「ありがとう」だし、「ごめんね」も心の底からの「ごめんね」です。そこに一切の偽りなんてないし、誰かを傷付けようなんて気持ちは一切ありません。

上手く伝わらなくて、伝わらないだけじゃなくて反対の意味に受け取られたり、それでコミュニケーションすら取れなくなってしまった悔しい経験が沢山ありました。(話したくても話せない)

そうならないためにも、コミュニケーションをする上での「先入観」の持ち方ってすごく大切なことだと思うので、(お互いが)愛情を持って人と向き合って欲しいなと思います。

一緒に頑張りましょう。

では、また明日。

WRITER
KOHTA FUKUI / Freelance Designer
KOHTA FUKUI
Freelance Designer