話せること・伝わること・理解し合えることについて考えてみる。
本ブログではアフィリエイト広告を利用している可能性があります。
2681 1461

話せること・伝わること・理解し合えることについて考えてみる。

2021.12.26
2021.12.26

記事を音声で聞きたい場合はこちらをクリック | by stand.fm

おはようございます。FOURTEENのコウタです。

京都を拠点にフリーランスデザイナーとして活動しており、毎日休まず続けている、ランニングやブログを通じて感じた「継続は力なり」の大切さを発信したりしています。

京都を拠点に完全独学のフリーランスデザイナーとして活動し6年目。2016年から禁煙をキッカケに始めた毎日ランニングは1,464日、毎日ブログは242日を突破。(2020年12月31日現在)

最近は色んな人とお話をさせていただく機会が増えてきましたが、改めて自分の想いを伝えることって凄く難しいなと感じます。

それは自分の感覚と相手の感覚が違っているからで、自分は「これは甘過ぎる」と思っても、相手は「甘さが足りない」という加減の問題もあったりするからあですね。

ということで今回は、話せること・伝わること・理解し合えることについて考えてみる、というお話をしたいと思います。

スポンサードサーチ
スポンサードサーチ

僕が相手の理想をカタチにするクリエイターだからこそ。

僕のモットーというかスタイルというか、クリエイターとして自分の(尖った)色というものを持っていないということもあって、「相手の希望に依存するスタイル」を極めようと努力してきました。

その結果、アーティスティックでクリティカルなデザインを作ることは出来ませんが、お客さんが頭の中で思い描いているものを再現する能力は凄く長けていると自負しています。要は勝手に自分のデザインを作らないということです

僕はそんな感じで、相手の想いを(デザインを通じて)伝える仕事をしているし、ヒアリングから意見を聞き出すことだって、聞き出した中から僕が表現した意図を提案する能力だって、凄く得意な方だと思います

人に話をする時に心がけている事。

で、僕のお客さんって「デザインはよく分からないから任せます」って人がすごく多いんですね。お任せってことは、要は相手はそこが無知だということなんです。

ただ、そんな中でもデザインの説明義務は僕にあるので、(言い方は悪いかもしれないけど)子供に教えるようにデザインの説明をしないといけないことって結構あったりするんですね。(お客さんが高齢の場合もあったりするので)

そんな時にデザインの専門用語をバンバン出して、最近の時代の言葉を並べていては伝わるものも伝わらないじゃないですか。なので僕は、業務連絡で「MT」とか使う人嫌なんですよ。(普通にミーティングって言えよって思う)

普段から僕はそんな感じで、相手の目線に寄り添った上で話を進めているので、これが不思議のなもので、相手が子供だろうと高齢者だろうと、何かを説明して伝えることがすごく得意だったりするんですね。

話し合いの先にある衝突は仕方ないけれど。

それくらい話すことに長けていると自負している僕なんですが、その話し合いの先に「衝突」がないのかと言われればそんなことはありません。クライアントさんとのチームプレーの中でもよく意見が上手く合わなくて言い合いもします。

ただね、あーだこーだ言い合うのは良いんですけど、結局最後に建設的なことが伝わらずただの衝突になってたら意味がないと思うんですよね。あと、解決せずに衝突することもあると思うんですけど、何ヶ月も引きずることなんか絶対にないわけです。

衝突があったとしても、ちゃんと議論の先に成長があるからこそ、無意味な言い合いなんてないって思えるし、それを感じるからこそ話すことに疲れてしまうんですよね。

その大前提には「傷付けるために発言していない」ということがあると自分自身が思えているかということが大切で、言い方を変えれば「リスペクトありきでの発言」だということを考えないといけないわけです。

「言わないと分からない」って言われるけど。

僕はどちらかといえば「我慢が出来る人」だとは思うんですが、そういう性格が原因でか「言わないと分からない」と言われることがあったりするんですね。

昔、母親に「ダイエットの都合で脂の多いものは食べないようにするから自分で食事を作るわ」と言ったところ、毎日のように「これは大丈夫?」と御飯が僕のテーブルに置かれていて、「ごめん食べれない」と言ったらその度にショックな顔をされることがありました。

で、僕もせっかく作ってもらったから返すのは心が痛むんで食べたりしてたんですが、これが「食べられるやん」って伝わり方に変わって、その翌日もまたご飯が準備されていて…と、無限ループが始まったんですね。

でも僕は確かに「自分で作るからいらない」と言ったんです。

流石に相手に対して何も言わなくて、「ダイエットしてんのにこんなもん作るな!」みたいにキレるのって馬鹿だと思ってるんで、流石に我慢強い僕でも絶対最初に言うんですね。

でも、「いらない」と言ったのにも関わらず毎日のようにご飯が提供されていて、それが何度も何度も同じ繰り返しになっていく度に、話すことに疲れるってタイミングが訪れてしまうんですよね。要は、もう話にならないって感じるようになって来るんです。

で、僕はよく「極端だ!」って言われるかもしれないんですが、周りに干渉されて生きなければならない上で、分かりやすく説明するのには極端であることが必要不可欠だったからですね。それがこの場合、この相手に対する最適だと思う伝え方だと思ったからです。

あと、「言わないと分からない」ってこともすごく分かると思うんです。でもさっきの例のように「それを言えなくしたのは誰なんだ?」って考えることも大切で、僕は「話せること」「伝わること」「理解し合えること」が出来る人には、なんのストレスもなく自分を曝け出していると思います。

相手に対してそういう風に思う瞬間ってきっと沢山あると思うんですけど、相手の態度を責める前に、自分自身と見つめ合い直して欲しいなと思います。

一緒に頑張りましょう。

では、また明日。

WRITER
KOHTA FUKUI / Freelance Designer
KOHTA FUKUI
Freelance Designer