「当たり前」から物事を考え始めると人生が辛くなる。
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「当たり前」から物事を考え始めると人生が辛くなる。

2021.10.14
2021.10.14

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おはようございます。FOURTEENのコウタです。

京都を拠点にフリーランスデザイナーとして活動しており、毎日休まず続けている、ランニングやブログを通じて感じた「継続は力なり」の大切さを発信したりしています。

京都を拠点に完全独学のフリーランスデザイナーとして活動し6年目。2016年から禁煙をキッカケに始めた毎日ランニングは1,464日、毎日ブログは242日を突破。(2020年12月31日現在)

僕は今年で32歳、仕事の状況もフリーランスなので安定はないにせよ、年々調子も上がって来て、昔(経済的にも)出来なかったことが少しずつ可能性として出てくるようになった。

そんな僕の順調にステップアップして来た人生にも、色んなことが重なって、自分がやりたい時にやりたいことが出来ない「思い通りにいかない状態」があったりして、最近はタイミングとかって言葉にすごく心が締め付けられることが多いです。

ということで今回は、「当たり前」から物事を考え始めると人生が辛くなる、というお話をしたいと思います。

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「当たり前」とか「常識」だとかいう言葉が大嫌いだった。

ふと思い返せば、19歳の頃の僕は、良い意味でも悪い意味でもひねくれていて、人生を半分捨てたような、それでも「いつか見てろよ…」って野心を抱えながら、人と同じように生きることを拒絶した(当時は)ただの口だけ野郎でした。

そんな僕が1番嫌いだった言葉が、『当たり前』とか『常識』とかで、正解なんてない一切ない人生の中で、「大学に行って就職するのが当たり前」とか「常識的に考えて〇〇だよね」とか、そんな言葉を聞くたびに反論していた時期がありました。

そんな僕も成長して、独学でフリーランスデザイナーになるという夢を叶え、今の立場に立つ中で社会の波に揉まれて大人になったのか、社会で生き残るために必要な『当たり前』とか『常識』がなんなのかを薄っすらと感じ、それが自分の思考に知らず知らずのうちに定着していたのかもしれません。(丸くなったなぁ…)

1つの夢を叶えた時に襲ってきた「虚無感」

僕は貧乏を経験して来たからか、人よりも「」が薄く、自分自身の生活を回すためのお金であったり、贅沢をしたり、高価なもの身につけたりなんかのハードルが低い為か、その点に関しては何不自由ない生活を送れるようになりました。(もちろん貯金もモリモリした上で)

そんな『独学でフリーランスデザイナーになるという夢』を叶えた先にあったのは、新しい目標ではなく『虚無感』だったんですね。

もちろん「もうデザイナーなんてやりたくねぇ…」といった虚無感ではなく、クリエイターとしてもっともっと向上して、新しいことにチャレンジしていきたいことは沢山あるんです。

ただ、僕がそれを言った当時はフリーランスに信頼なんてなかった(最低でも会社にしないと取引先が見つからなかった)ので、「独学でフリーランスデザイナーを目指す!」という、アホみたいに無謀な夢なんて自分自身でも半信半疑だったりしたんですね。(叶えてやるという意欲だけはあったけど…)

で、その時の収入って、ホントにホントに「ゼロ」だったんです…。なので、そこの位置から今を考えた時に、すごくすごくしんどかった道のりだったので、「走り切った…」って思いが強くのしかかって、決して現状に満足している訳ではないんですが今は息切れした状況になり、今は何も(先のことを)考えたくないっていうのが正直なところなんですね。(仕事したくない訳じゃなくて仕事は楽しいです

経済的な余裕が出来たことで増えた可能性。

で、そんな『虚無感』が襲って来た僕は最近、新しい目標を見つけられずに悩んでいた時に出会った言葉が『クォーターライフクライシス』という言葉で、このブログでそれを取り上げたところ、意味が分からないくらいのアクセスがありました。

関連記事 : クォーターライフ・クライシスという言葉に出会って。

過去に「本当にこんなこと頑張っててデザイナーになんかなれるのかなぁ…」みたいな感じで悩んでいた虚しさにすごく似ていて、僕は今まさに『人生の成長痛』と戦っているんだと思います。

そんな当時の僕と、今の僕を比べた時に明らかに違いがあるとすれば、それは『経済力』で、この経済的な余裕が出来たことでやってみたいと思うことが沢山あることに気付いたんですね。

冒頭でもお話ししたように、それがタイミングで心を締め付けられる瞬間であって、その1つが『旅行』だったんですね。

2年前、僕は世界中を回って、色んな人(友人・知人)に会いに行きたいと思っていましたが、コロナによってそれは叶わず、今その熱は少し覚めてしまったような状況で、「あの時コロナが来てなかったら…」って、あんまり好きじゃない”たられば”を思ってしまうことがあります。

そしてもう1つが、これは恐らく新しい夢(目標)に変わる可能性の高いことで『アトリエ』が欲しいということだったんですね。

「当たり前」から物事を考え始めると人生が辛くなる。

でも、不動産に詳しい先輩に相談したんですが、『アトリエ』って現実的に考えて、僕の今の状況を考えた時に(順番的に)色々難しいらしいんです。

でもやっぱり、今僕は強く感じているのは『自分一人の時間を大切にしたい』って思いで、それがプライベートにも、仕事にも大きな好影響を与えることを確信しています。

やっぱりね『自分の時間』って絶対に必要なんですよ。そういう性格の人ってすごく多いと思うんですけど、世間一般的な『当たり前』や『常識』を考えて、”こうしないといけない”って決めつけてる人は多いと思うんですよね。

僕が19歳の頃に描いた「独学でフリーランスデザイナーになる!」なんて夢、どこのどいつが『当たり前』や『常識』って表現するでしょう。しないですよね。アホですもんそんなこと考えるの。

で、僕は良くも悪くも大人になってたんだなって最近思ったんです。『当たり前』や『常識』に捉われてしまって、そこから物事を考え始めると人生が面白くないし、辛くなるってことに気付いたんです。昔はそれに反発してたのに今は丸くなったよなって思います。

一度きりの人生』って考えた時に、「独学でフリーランスデザイナーになる!」ってアホみたいな夢を叶えた僕が、世間一般的な考え方の中で生きれるはずがないって、そこに自分を当て嵌めようとしてたから疲れたんだなって思ったんですね。今もまだ心の底には19歳の僕がいたんですね

だから僕、やっぱり今すぐにでも『アトリエ』を持ちたいし、人生を「型にはまらずに自由に生きたい!」って思いました。もちろんプライベートを捨てるという訳じゃないです。でも、自分が思う新しい生き方として、自分のやりたい気持ちを主張していきたいと思いました。

ちょっとこの先どうなるか分かりませんが、前例のないような生き方をしている僕が、また、前例のないような生き方を模索しようとしています。温かく見守っててください。(だって僕は変人だもの)

一緒に頑張りましょう。

では、また明日。

WRITER
KOHTA FUKUI / Freelance Designer
KOHTA FUKUI
Freelance Designer