与える人にしか、与えられる場面は回って来ないから、与え続けて生きる。
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与える人にしか、与えられる場面は回って来ないから、与え続けて生きる。

2021.08.30
2021.08.18

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おはようございます。FOURTEENのコウタです。

京都を拠点にフリーランスデザイナーとして活動しており、毎日休まず続けている、ランニングやブログを通じて感じた「継続は力なり」の大切さを発信したりしています。

京都を拠点に完全独学のフリーランスデザイナーとして活動し6年目。2016年から禁煙をキッカケに始めた毎日ランニングは1,464日、毎日ブログは242日を突破。(2020年12月31日現在)

有名な書籍であるアダム・グラントさんの『GIVE&TAKE』の中には、この世の中には「ギバー(自己犠牲)」と「テイカー(自己利益優先)」と「マッチャー(損得のバランサー)」という3つの生き方の人で構成されていると言われています。

この中でも、僕は「ギバー」にあたる人間だと思って生きていたんですが、この書籍の中では「ギバーには2種類いる」と紹介されていて、今回はそれを踏まえた上のでお話になります。

ということで今回は、与える人にしか、与えられる場面は回って来ないから、与え続けて生きる、というお話をしたいと思います。

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それぞれの序列と、2種類存在するギバーとは。

以前にもこのお話はしたので、今回は簡単に説明させてもらおうと思うんですが、「ギバー」「テイカー」「マッチャー」の3種類に加えて、ギバーに関しては、ギバーA(搾取されないギバー)とギバーB(搾取されるギバー)といった形に分けて、それを合わせた4種類で構成されています。

それぞれ出世の序列みたいなものが決まっているようで、順序はこんな感じになっているそうです。

  1. ギバーA(搾取されないギバー)
  2. マッチャー
  3. テイカー
  4. ギバーB(搾取されるギバー)

要するに、最も出世するとされているギバーの中にも一歩間違えればテイカーのエサとなり、搾取されるだけのギバーになってしまう危険性があるので、与える人の境界線を見極める力っていうのが必要になってくるということなんですね。

与える人にしか、与えられる場面は回って来ない。

それを踏まえた上で思うことがあって、僕はフリーランスとして活動し始めた当初から「ギバーB(搾取されるギバー)」だったということにここ2年ほどの間に気付きました

実際にどんな感じの状況を経験した上で自分が搾取されているかを気付いたかといえばなんですが、僕がやるお仕事に対して安値を付けてきたり、値下げを要求されたりするわけですね。そのクセ自分達は僕の技術を利用して多額の利益を得ていた様な感じで使われていたんです。

それを僕は「求められている」と勘違いして喜んでいたんですが、実際はそうではなかったことに気付いたのは、僕自身が経験不足だったことが大きかったからだと気付きました。

ただ、僕は心を改めたことによって、ギバーBから「ギバーA(搾取されないギバー)」に意識を変えられたように思っているんですが、どちらのギバーにせよ、リアクションを求めようとすればやっぱり自分からアクションを起こさないといけないんですね。

要するに、与える人にしか、与えられる場面は回って来ないということなんです。

僕はやっぱり与える人でい続けたい。

僕はギバーとして搾取されていたことを経験したからこそ、搾取されないように与え続ける術を身に付けることが出来たと思っています。やっぱりテイカーって上手いんですよ。煽てるだけ煽ててあとはポイって。

でも、そういう経験をしたことで芽生えたのは「自分も奪って得してやろう!」みたいなことではなく、それでも尚、与えられる人でい続けたいということでした。

やっぱり自分が何かをしたことによって、帰ってくる笑顔のリアクションが生き甲斐だと感じて生きているので、これがなくなってしまっては僕は困るんですね。むしろこれがないと生きている意味がないと思ってしまうくらいですね。

でも、搾取されるギバーでい続けたとしたら、自分がすごく生きづらい世の中になってしまうと考えた時に、どうせ与え続けるなら、自分のエネルギーを維持し続けれらる搾取されないギバーになりたいと思ったんです。

そうと意思を固めてから、どんな人に、どんな風に与えることをすれば搾取されることなく、自分自身の活動を維持することが出来ることが出来るかを考え、普段から気をつけて生活する様になりました。

与え続けることで損をしている人に伝えたいこと。

で、僕の周りにはすごく心が優しい人が多くてですね、相手がどんな人であれど、例えそれが自己犠牲を被ったとしても、それでもやってあげたいって思う人がホントに沢山いるんですね。

そういう人と出会ったり、そういう瞬間を見た時にはやっぱり、その人がこの先の未来で与え続けることで疲弊していく姿は見たくないし、お節介かもしれないんですが「こういう風に考えた方が良いよ?」とか「ここは心を鬼にしないとダメだよ?」みたいなことを言ってしまうんです。

でも、自分の優しさの基準として「何があっても与えたい」って感覚から入る人のことを、僕はホントに素敵だと思うので、自分が搾取されていたギバーだったことを踏まえて伝えたいなって思うんですよ。

僕は今、昔のように搾取されているという感覚はなく、自分が与えたことよりも、それ以上に大きなものを返してもらっていて、だからこそ自分がイキイキと生きることが出来ていると思っています。

下心ということではなく、自分が与えたものに対しては、必ず何かしらの形で対価以上のものが返って来て当然だと思うし、それを求めることは決してダメなことではないので、この発信を通じて、搾取されている人が何か違和感に気付ける瞬間になれたら嬉しいです。

一緒に頑張りましょう。

では、また明日。

WRITER
KOHTA FUKUI / Freelance Designer
KOHTA FUKUI
Freelance Designer