僕が信じている優しい人に見られる特徴とは。
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僕が信じている優しい人に見られる特徴とは。

2021.06.02
2021.06.02

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おはようございます。FOURTEENのコウタです。

京都を拠点にフリーランスデザイナーとして活動しており、毎日休まず続けている、ランニングやブログを通じて感じた「継続は力なり」の大切さを発信したりしています。

京都を拠点に完全独学のフリーランスデザイナーとして活動し6年目。2016年から禁煙をキッカケに始めた毎日ランニングは1,464日、毎日ブログは242日を突破。(2020年12月31日現在)

自分で言うのもなんですが、僕って結構「優しい人」だと思うんですね。

昔は感情的になりやすく、いつも尖っていて、すぐに怒ったりしてしまっていましたが、色んな経験を経て、久しぶりに会った友人からは口を揃えて「丸くなったな」と驚かれます。

ということで今回は、僕が信じている優しい人に見られる特徴とは、というお話をしたいと思います。

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与えるだけが「優しさ」ではない。

この世界には色んな「優しさ」があると思うんですが、僕自信が持っている優しさって、大きく分けて「与える優しさ」「見守る優しさ」「突き放す優しさ」の3つくらいだと思います。

僕の中でこの3つは、段階的なことを意味していると思っていて、フラットな状態であれば「与える優しさ」を、与えられることに慣れ過ぎた時は「見守る優しさ」を、そして最後に、自分を見失った人に対して自問自答する時間を与える「突き放す優しさ」という位置付けです。

「与える優しさ」と「見守る優しさ」に関しては、日常生活に溶け込んでいるので気付かないか、もしくは当たり前に変わってしまいやすい優しさかもしれませんが、「突き放す優しさ」に関しては、場合によっては「冷たい人」に見られるかもしれません。

「見守る優しさ」との違いは、「見守る優しさ」にはまだ表向きに感情がありますが、「突き放す優しさ」にはほとんど表向きの感情表現はない感覚です。

きっとこの状態になる時には、表現は難しいですが、「自分が傷付くことを恐れているプロテクト状態」でもあるんだと解釈しています。

何も言わないことは「優しさ」ではないのか?

例えば「与える優しさ」の中には、「〇〇を買ってあげる」とか「〇〇を言ってあげる」とか、シンプルで分かりやすい感情表現や行動があると思っていて、そんなことから日常的に溶け込んで、いつしかそれが「当たり前」に変わっていきやすいことなんだと感じています。

そんな中で、「自分が気付いたことを言ってあげる」という行動を起こし続けていた上で、相手にそれが響いていないか、もしくはそれが当たり前になって言葉に効力がなくなった時、皆さんならどうしますか?

恐らく多くの人はここで、決して「言って”あげる”」とは言えないような、少し強めの(怒ったような)口調で相手にメッセージを伝えると思います。

一方で、そこで相手が自分が求めた行動をリアクションとして返してくれたとしても、全く「嬉しさ」って感じないと思うんです。

「やれ!」と強く言ったことで返ってきた行動よりも、自分から気付いてやった行動の方がきっと「嬉しさ」を感じると僕は思うんですね。(サプライズプレゼントとかもその手法ですよね。)

「自分で気付く」ということの定着力。

仕事でも遊びでもなんでもそうですが、「自分から興味を持ったこと」へのモチベーションって、人から言われてやったことと比べると全然違うと思うんです。

そういう意味で「定着力」って、「自動」なのか「多動」なのかで全然違うと思っていて、俺だけ「自分で気付く」ってすごく大きなことなんですね。

これまでの僕の経験の中で、ほとんどの場合、「言ってあげる優しさ」を続けた時に、相手がそれで定着した試しはなくて、時間が経てば甘えが出てきたり、忘れてしまったりすることがほとんどだったんです。

それに気付いた時から、僕にとっての優しさは、(最初の1〜2回は「与える優しさ」があった上で)基本的には「見守る優しさ」と「突き放す優しさ」の2つにほぼ絞られいきました

「自分が伝えた時だけ動かれても…」とか「変わっても一時的なことだった…」とか、そうなる度に傷付く自分を元に戻すエネルギーが大き過ぎて、自分の意思を伝えた上で「あとは相手が変わるまで待とう」というスタンスに変わったんですね。

僕が「人に何も求めない」という理由。

言っても変わらなければ自分が傷付くと感じたからこそ、「言ってもらえること」って実はすごくありがたいことだと思えるようになって、今まさに自分にメッセージ届け続けてくれる人や、過去にメッセージを届け続けてくれた人への感謝が大きくなりました。

(血液型と性格は関係ないと思いますが)僕の血液型はAB型で、昔からよく自分で「自分のことはB型だけど人のことはA型」という言っていたように、僕は人のことはキッチリしていても、自分のことは雑と言った感覚を持っています。(完全に過去の僕の偏見です。今はB型の人も大好きです。)

そういう性格(という偏見しかない血液型から思っていたの)が、今の仕事との相性がすごい良いことに気づいて、僕はいつも潜在的な意識の中で「クライアントに与えること」しか考えて仕事をしていないんです。

きっと、大半の人は仕事をしている上で「お金を手に入れる」という「自分に与える」という感覚を持っていると思うんですが、僕はこの部分に関してホントに一切何もないんです。

厳密に言えば、僕が求めている見返りが(決して綺麗事ではなく)「笑顔」だったりするので、そう考えたら僕も「自分に与える」ということを目的としているのかもしれないです。(嘘つきましたごめんなさい。)

そして今、仕事を通じて、自分の「生きがい」を改めて考えた時に、やっぱり僕にとって「与える優しさ」が1番であることを再確認することが出来ました。(そんな中で「見守る優しさ」「突き放す優しさ」とのバランスはすごく難しい。)

ただ、それと同時に「与える優しさ」には限界量があることにも気付かされて、そのエネルギーをフルで使える環境を模索している最中なんだと思います。(出来たら余らせるくらいが丁度良いとも思っている。)

ちょっと今回は、最後にバシッとまとまりのある文章ではありませんでしたが、最近はバタバタと落ち着きのない日々を過ごしている中で、「優しさ」というテーマと向き合って、また少しだけ、自分のことが理解出来た気がしたので、皆さんも自分自身の「優しさ」について考えてみてください。

一緒に頑張りましょう。

では、また明日。

WRITER
KOHTA FUKUI / Freelance Designer
KOHTA FUKUI
Freelance Designer